シュクラ先生が2日間授業ができないというので理由を聞いてみると、大学で講義があることが分かった。哲学科主催のインド論理学セミナーである。誰でも参加できるというので行ってみることにした。朝10時から午後5時まで、1時間の昼食をはさんでぶっつづけ。内容は私の専門にジャストミートだったので、飽きずに(とはいえ昼食後は眠かったが)2日間参加した。
プネー大学でインド哲学を学ぼうとするならば、サンスクリット学科と哲学科の二択がある。サンスクリット学科はその名の通り読解を重視する授業、哲学科は思考を重視する授業が多い。その結果どうなるかというと、サンスクリット学科では暗記ばかりで思考がストップし、哲学科では文献的な根拠が薄いために発想が稚拙になってしまう。お互い短所を補いあえばいいのだろうが、この両学科は建物も別でほとんど交流がない。
シュクラ先生の普段は玄関のすぐそばにあるベッドに座り、門番をしながら勉強している冴えないおじいさんだが、実は哲学科の名誉教授で、今回のセミナーは最初と最後の2講義を行った。全部サンスクリット語でするのが先生の真骨頂だけれども、さすがに大学ではサンスクリット語を知らない学生もたくさんいるので英語かヒンディー語で講義をする。最初のうちは気取って英語を話しているが、興奮してくるとヒンディー語になったり、マラーティー語になったり、サンスクリット語も多少混じったりするのがおかしい。声を張り上げての授業は迫力抜群。おそらくこの授業を最初に聞いていたら怖くて個人授業をお願いしようとは思わなかっただろう。
以下インド哲学の専門用語が混じるが、専門外の方にはご勘弁いただきたい。
1日目。シュクラ先生の最初の講義は証因と見せかけの証因について。正しい認識手段としての推理の条件と、それを満たさない見せかけの証因について、『ニヤーヤ・スートラ』の古い時代での定義から発展していく状況を概観した。次はナグプールからいらしたジョシ先生(ヒンディー語)。証因の5条件とそれに対応する5つの見せかけの証因、そして論証式を構成する5つの支分とそれぞれを支える4つの認識手段を概観。
1日目の午後からはジャイナ教論理学について3人が発表。ジャイナ教が提示する証因の一条件説を中心に、他学派との異同が紹介された。現教授のゴーカレー先生は考証を独立した認識手段とする説、内遍充説、三条件説批判を詳細に説明。ジャイナ教の論理学は他学派のような古い伝統がなく、借り物だらけの体系だと揶揄されることもあるが、その実いたるところに独自の考察が見られる。
2日目はシュクラ先生の教え子であるシャルマー先生(ヒンディー語)。正しい認識手段が正しいといわれるための根拠、つまり根拠の根拠を巡る仏教とニヤーヤ学派の見解と、「他者のための推理」がなぜ証言ではなくて推理なのかという問題を考察した。続いて哲学科講師のバヴェー先生が、主宰神論証を例に西洋の論理学とインド論理学の違いを論じた。西洋は完璧な普遍を前提としているのに対し、インドで普遍というのは大なり小なりその共同体でのみ有効な約束事であり、客観的なものではない。ゴーカレー先生も、インドの論理学は形而上学、認識論的なものではなく、議論の文脈で状況的なものであると仰っていた。
2日目の午後は再びジョシ先生(ヒンディー語)が主宰神論証「大地などは作者がいる。結果だから」の展開を追った。続いては驚いたことにジャー先生。ジャー先生はサンスクリット学科ではなくてサンスクリット高等研究センター長だが、哲学科とあまり交流がないのは同じである。それが講義を1つ行うとは、しかも痛い膝をおして哲学科のある4階まで上ってきたのも驚き。ただ中身は、証因の五条件を『ニヤーヤ・マンジャリー』に沿って30分ほど話しただけの手抜き発表。「あとはカーシー版でいうと101ページから読んでください」では質問もしようがない。もっとも、この人の場合はいるだけですごいことなので良しとするか。
そしてシメはシュクラ先生。新ニヤーヤ学派における見せかけの理由の一般定義についてシュクラ節が炸裂した。新ニヤーヤ学派は世界の考察よりも完璧な理論作りに腐心し、過大適用や適用不十分のない定義を作ろうとする。仮説をたて、反例によって例外を見つけ、それに対抗する新しい仮説を作っていく。それ自体は悪くないのだが、反例が重箱の隅をつつくような作り物なのが虚しさを感じる。最終的な定義は「内部が限定されたものに干渉せず、2つ以上の項目が限定されたものに干渉せず、遍充しない対象をもたないものを対象とすることによって、証因知が推理知の主原因となるものの非存在の対立項であることであること」。
昼食では、講義を聞きに来ていたイラン人のアリ、インド人のアントニーと知り合いになった。アリは哲学科に在学中だが、ヒュームなどを勉強したいのにお金がなくてインドに来ているという。そこにきてちんぷんかんぷんなインド論理学の講義を聴いているのは偉いものだ。プネーに4000人いるという(本当か?)イラン人留学生は遊んでばかりで勉強しないと嘆き、2日目にはよかったら共同で住んで一緒に勉強しないかとまで提案してきた。イラン人と過ごしながらペルシア語を習う謎の数ヶ月も悪くないと思ったが、いかんせんワドガオンシェリでは無理だ。アントニーはたまたま近くに住んでいることが分かり、今度遊びに行くことになった。
このような知性あふれる知人も増えるアカデミックイベントがときどき行われているのは学術都市のプネー大学という地の利を感じる。