夜行列車を予約したので翌日は1日観光となる。コルカタはムンバイ以上に建物や公園があるところだが、私は2つに絞ってみることにした。ひとつはカーリー寺院、もうひとつはインド博物館である。カーリー寺院の話はお食事中の方注意なので、行った順序と逆に書く。心臓の弱い方は、博物館の記述が終わったら読むのをやめてほしい。
インド博物館は、その名の通りインド最大の博物館。デリーの国立博物館、ムンバイのプリンス・オブ・ウェールズ博物館よりも見ごたえがある。とりわけ仏像の豊富さと美しさには、心奪われるばかりだった。
坐禅の像を見ながら、ふと我々の坐禅と左右反対であることに気がつく。曹洞宗の結跏趺坐は右足を先に組み、その上に左足を乗せる。法界定印の組み方も右手の上に左手を乗せて作る。ところがインドの仏像は、例外なく右手・右足が上。左手が不浄手であるという文化は日本にも伝わっているので、これが理由ではあるまい。どこで反対になってしまったのか、詳しい人にちょっと聞いてみよう。
仏像以外の展示物としては、ベンガルの近代画や、インド少数民族の生活紹介が印象に残った。インドのはるか東南、マラッカ海峡近くにあるインド領アンダマン・ニコバル諸島では下半身の前部にだけ蓑をつけたほぼ全裸の民族が生活している一方、インド東部アッサム地方の近くにはほとんど中国人のような身なりの民族がおり、西インドにはターバンを巻いた民族たちがいて……この国は広い。日本も南北に長いが、ここまで変化に富んではいないだろう。
あとは鉱石や化石、動植物の展示などひとつひとつ見ていくのは全く不可能なほどの展示がひしめいていた。博物館ショップでは石像のレプリカを売っていて、手ごろな価格で日本にもって帰ったら成田で捕まりそうなかなり大きいものまであった。
さてもうひとつ、カーリー寺院はこの間プネーに立ち寄ったゲーム仲間のV1さんから教えてもらったものだ。悪魔を滅ぼす女神カーリー(ドゥルガー)は残忍な性格で、ヒゲを生やした男たちの生首をネックレスにし、さらに何本かある手ですごく危なさそうな剣をかかげ、また別の生首の髪をもってぶら下げている。その上目もいっちゃっているし、舌も出ているので怖い。去年ビハールで買ってきた絵は、勉強部屋におけなくて台所に飾っているほどだ(その前に買うなという話も)。
カーリー信仰をしている人には、女神に人間の耳や鼻をささげようと、山地で盗賊を続けている者もいる。警察に銃殺されるのが先か、それとも神に誓った数(100とか)だけ耳や鼻を集めるのが先か。そこまで極端な信仰は稀だがこの女神は広く信仰を集めており、そのドゥルガー祭は全インドで大々的に行われている。
さてそのカーリー神が自殺して、ヴィシュヌがその身体を切り刻んだときに足の小指が落ちた場所(どうしてインド神話ってこう……)が、ここのカーリー寺院となった。ここでは朝から晩までひっきりなしにヤギの首を刎ね落としてカーリー神に捧げている。
寺院の境内には専用の処刑場があり、子ヤギから大人のヤギまで次々と連れられてくる。処刑場には2台の断頭台があって、屈強な男が羽交い絞めにして断頭台に首をセットする。もう1人のおっさんが金属の棒で首を固定したあと、カーリー神がもっているのと同じような刀でスッパリ。ヤギは私を睨みながら、そのまま白目をむいた。
身体はしばらくの間動き続けるので、首を切った後その辺で暴れさせておくのだが、自分の首を自分の足で蹴ったりすることがあり、V1さんが「シュールでした」という以上のものがある。ヤギを寄進した信者には、そのおっさんが生首からとった血を額にちょびちょびと付けていく。その間、切り口から出てきた赤い何かを犬がペロペロ。動きが止んだヤギは門の外で皮をはがれ、信者に振る舞われる。あらゆる意味で信じられない光景。V1さんは半日も眺めていたというが、フランス革命などを想像してしまった私には5,6匹ぐらいが限度だった。
こんなことを言うと信者の人に失礼だろうが、仏教の不殺生戒は家畜を犠牲にして行うバラモン教の祭式と対極にある(もちろんバラモン教でもバラモン殺しは重罪になるなど、全ての殺生が是認されていたわけではない)。こんな光景を目の当たりにしたらこの世をはかなんで出家したくなるようだ。
もっとも、日本もちょっと昔は生きているニワトリの首を刎ねる光景が普通にあったわけだし、現代においてもおよそ肉という肉は全て生き物を殺すことによって生じるわけだから、ここが特別というわけではない。彼らを残忍だと思うならば、わが身も残忍だと言わなければならぬ。他の命を奪わなければ生きていけないという生命の本質を隠して、人を殺してはいけないと教えても子どもたちは分からないのではなかろうか。ビーフを食べながら捕鯨反対をしている奴らは、そういうことをどう考えているのだろう。
……などとありきたりなことを考えつつ博物館に向かったが、お釈迦様の首だけの石像とヤギが重なって仕方なかった。