外国人登録許可証を受け取りに中央警察へ。実は5回目である。
1回目…在学許可証とアパートの賃貸意契約書を忘れた。
2回目…パスポートの入国スタンプをコピーしていなかった。
3回目…書類が揃い、受理される。
4回目…許可証は7日後に発行されることになっていたが、10日経ってまだ発行されていなかった。
5回目…申請から12日後、やっと許可証を受け取る。しかし係が来なくて40分待たされた。
去年同じ登録をしたときは一発で受理され、一発で発行されたので合計2回で済んだため、余裕だろうと侮っていたのが失敗。考えてみれば去年は、ホームステイしていた家のヴァーマンさんが付き添ってくれて、あれこれ指示してもらっていたのだった。外国人が独力でするのはこんなものかもしれない。たいへんだった分、終わるとせいせいする。その足で映画館に行き、マクドナルドでマックシェイクを飲んでから映画を見てきた。
ディルネー・ジセー・アプナー・カハー(心はあなただけを)
〈あらすじ〉
朝6時。目覚ましを止めたバリー(プリーティ・ズィンター)はとなりで寝ていた夫のリシャーブ(サルマン・カーン)を起こす。海岸のジョギングが朝の日課である。2人はとても仲のいい夫婦だった。妻のバリーは病院の医師、夫のリシャーブは建築設計会社のチーフ。やがてバリーは妊娠し、2人の幸せは最高になったかに見えたが……。
バリーが車を運転しながらリシャーブのもとに向かう途中、目の前でバイクが転倒。それを避けて急停車したバリーの車に後続のトラックが追突し、バリーは車ごと道路の外に投げ出される。自分が勤める病院で緊急手術を受けたが、リシャーブに「I
love you…」と最後の言葉を遺してバリーは死んでしまう。妻とお腹の中の子どもを一挙に失ったリシャーブは気も狂わんばかりとなり、卒倒してしまった。
実はバリーが勤めている病院には、心臓の病気であと2,3年の命と言われている女の子ダーニーが入院していた。バリーが死んだのを受けて移植手術が行われ、バリーの心臓はダーニーへ。ダーニーはその後ぐんぐん回復し、社会復帰できるようになった。
一方、気を失っていたリシャーブは、移植手術が行われたことを知らないままバリーの火葬を行い、家に戻ってからも妻のことを思い出してばかりの暗い生活を始める。そんなある日、知り合いの結婚式に招かれたリシャーブは、ダーニーと偶然出会った。心臓のなせるわざであろうか、ダーニーは彼を一目で好きになり、一方リシャーブも彼女のノートを偶然見つけてその言葉に打たれた。それがきっかけでダーニーはリシャーブの会社に就職することになる。
就職してからもダーニーはますます思いを強くし、自分の心臓が彼の妻のものであることを聞いてからはいてもたってもいられなくなり、ついにリシャーブの家を訪れる。しかしリシャーブは妻を忘れられず、彼女の告白を拒絶。絶望したダーニーは心臓がおかしくなり、「I
love you…」と言って瀕死状態になってしまう。
電気ショックを与えても回復しないダーニー。リシャーブはそこで初めて、彼女の心臓が妻のものだったことを知らされる。途端にバーリーの思い出とダーニーの行動が重なっていく。「バリー、俺が悪かった。どうかこの子を生かしてくれ」と涙ながらに語りかけるリシャーブ。すると奇跡が起こった。心臓が再び動き出したのである。
……朝6時。目覚ましが鳴る前にリシャーブは起きた。隣にはダーニー。「子どもは何人がいい? 1人、2人、3人!」2人の新しい生活が始まっていた。
〈感想〉
泣ける。愛する者を失う悲しさ、しかしどんなかたちになっても愛し続ける愛の深さ。
このところラブストーリー映画と言えば男女がケンカをしながらだんだん好きになっていくというパターンが多かったし、ヒロインのプリーティ・ズィンターは怒って早口でまくしたてるシーンが似合う女優なので、この映画もそうなのかなと思っていたら、のっけから仲良し夫婦。これは意表をつかれた。その後も先を読ませない展開で飽きさせない(後半、ダーニーが仕事になじんでいくシーンはややだれるが)。
バリーが交通事故にあった一因は携帯電話でリシャーブと話していたこと。日本だったら2500ルピーの罰金ものである。そこは彼女にも過失があったと思われ、申し訳ないがあまり同情できなかった。しかしその後のリシャーブには思いっきり感情移入。現実に妻は日本でぴんぴんしているが、車を運転しているので交通事故に遭う可能性がないとはいえない。もし同じことが自分の身に起こったら、その後の人生はどうなるだろう。また反対に自分がインドで客死してしまったら、妻はどうするだろう。心臓が他の人に移植されたら、その人にはどういう感情を抱くだろうなどといろいろ考え始める。帰り道、いつもより慎重に道を横断したのは言うまでもない。
心臓と心は「Dil」という同じ言葉で表される。バリーのハートは、ダーニーの中にあってもリシャーブを愛していたというわけである。「心というのは比喩で、本当は脳が愛しているのだ」などと野暮なことを言ってはいけない。ちなみに古代インドでは、心は心臓の中にある親指大のものという考え方もあった。
しかしこの映画は、心臓が愛の拠り所だと言っているわけではないだろう。リシャーブは、バリーの心臓がダーニーに残されたことを知らずにバリーを愛し続けていた。バリーの携帯の留守番メッセージを何度も聞き返すリシャーブ。その結果、ダーニーを通してリシャーブはバリーに再会することになる。この世からいなくなったものの記憶を失わないばかりか、その思いをさらに強めていくのは無形の愛のなすわざであり、人間の本性のひとつと言えるかもしれない。
まだ封切1週目だというのに、客はがらがら。これまた早く終わりそうな感じだ。原因は何か。ひとつは悲しすぎること、もうひとつは入院や手術シーンが多くてグロテスクに感じられることではないだろうか。この2つから観衆がもっとも期待する華やかさやカタルシス、さらにはロマンスがなくなり、映画館の外でも見ることのできる殺伐とした現実が印象に残ってしまう。私は、そこが気に入ったのだが。インド人のルパリさんに聞いたら、いい映画だとは思うが心臓が意思をもつのは非現実的であるのと、サルマン・カーンがずーっと泣いていたのがマイナスだという。
今日は一切リキシャーを使わずバスのみ。バス停から中央警察、映画館、そしてバス停まで徒歩。帰りはネットカフェに寄ったのでまた徒歩。合計4,5キロは歩いたと思う。帰りの夜道はやや危険を感じるが、運動になる上に風景や人物をゆっくり眺められるので街に親しみを覚えるようになてきた。