理の如く思惟せば

「私の説いた法を君たちは検証し、議論し論理的な根拠に基づいてそれは良いと納得するならば、信仰してもよいものなのだ」「宗教の教祖はたくさんいますが、私の説いた教えを信じなさいという人ばかりで、私の説いた教えを検討しなさい等という方は、釈尊以外の誰もいませんよね」「問答をする時には論理だけによって論証しようとし、それ以外に教証を引用し、『…と説かれるが故に』というのは不要である」「まずは仏典を学習して、学習した内容を繰り返し思考し、思考を繰り返して確証を得たものについて更に修習を繰り返すことを通じて、精神を改革することができるのです」

大般若経理趣分「理の如く思惟せば」という文言と同じ教え。経典祖録を鵜呑みにせず、そこに書いてあることを五感・論理・話し合いを通して真実かどうか検証し、その上で会得したいものだ。

それにしてもダライラマがよく言及する『量評釈(Pramānavārttika)』と『入菩提行論(Bodhicaryāvatāra)』の全章日本語訳が切望される。

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