短い本ですが、『偽善のすすめ』『「昔はよかった」病』からの流れで読むと含蓄があります。
日本人の道徳心は決して荒廃していない、むしろ現代ほど強い時代はこれまでなかったという見解をもとに、道徳の副読本に「なぜ?」を問いかけていきます。「現代の日本人は過敏なんです。ありあまるほどの道徳心を持つようになってしまった結果、ささいなモラル違反にも敏感に反応し、過剰なまでに攻撃してしまうようになりました。」ネット社会でこの傾向に拍車をかけます。
いじめっ子を助けて友だちになったという話には「よのなかで本当に必要とされるのは、ともだちを作る能力ではありません。ともだちでない人と話せる能力なんです」、脚が不自由だった私がクラスの子と遊べなかったのをお父さんに叱られる話には「迷惑をかけまいとして、他人とコミュニケーションをとることまで拒絶してる日本人が、『ふれあいや絆を大切にしよう』だって? やかましいわ」、浜田広介の『泣いた赤鬼』には「青鬼の自己犠牲に甘えるだけで終わってしまったら、あまりにも非人道的です―ああ、人じゃなくて鬼ですけどね」とバッサリ。
最後は「いのちの大切さ」に切り込む。絶対に人を殺してはいけないといいながら、死刑を容認し、人を殺す可能性の少なくない自動車を運転するのは、「自分が納得できる理由があれば、人を殺してもいい」と考えているから。自分もいつか人を殺してしまう可能性を受け入れ、そうしないように努力するべきであること、そのためには多様性を認めることを教えようと結んでいます。
小中学校の道徳の時間をお借りして人権教室を行うのですが、虚しいタテマエではなく多様な見方を示し、自分の価値観と合わないときどのように受け入れるかという極めて現実的なことを子どもたちと一緒に考えていこうと思います。