中陰49日の起源を探求するべく、倶舎論分別世品を読みました。この前に大毘婆沙論があるのですが、倶舎論のほうがよくまとまっており、サンスクリット原文もあるので比較的読みやすいです。
そこでは中有の期間について、5つの説が取り上げられています。
1.決まっておらず業が熟すれば生まれ変わる(大徳の説)
2.七日以内に生まれ変わらなければまた死んで、また生まれるというのを繰り返す(バシュミトラの説)…
3.四十九日(その他の者たちの説)
4.短時間(毘婆沙師の説)
5.同類に影響される(他の者たちの説)
現在最も有名な四十九日説は、たった1行しかありません。
『正法眼蔵』道心の巻では、「中有ということあり、そのいのち七日なる」「七日をへぬれば、中有にて死して、また中有の身をうけて、七日あり。いかにひさしといへども、七日をばすぎず」と述べられており、バシュミトラ説に立っていることが分かります。祖堂諷経で読み込まれる「婆須密多大和尚」のことだと思われます。倶舎論の著者とされる「婆修盤頭大和尚」の14代前にあたります。
阿毘達磨倶舎論第三 分別世品
次のことを今語らなければならない。三界(欲界・色界・無色界)の区分によって心などの分別がなされる。
そのうち欲界・色界・無色界とは何か? 答える。地獄・餓鬼・畜生・人・六つの天が欲界である。四つの道と、六つの天、すなわち四天王天、三十三天、夜摩天、覩史多天、楽変化天、他化自在天がある。これが器世間と共に欲界という。
欲界には場所がいくつあるのか? 答える。地獄は二十ヶ所に分かれる。大地獄は八ヶ所あり、等活、黒縄、衆合、叫喚、大叫喚、炎熱、大熱、無間地獄である。大陸は四ヶ所あり、南贍部、東勝身、西牛貨、北俱盧である。そして前述の六つの天、畜生、餓鬼で合わせて二十ヶ所となる。欲界とは、他化自在天から無限地獄までである。一方、器世間から風輪に至るまで欲界に含まれる。
衆生には卵生、胎生、湿生、化生の四つの生まれ方がある。
化生とは、完全無欠の衆生である。器官の制限がなく、一切の部分を完備し、すぐに生まれてくる。まさにそれゆえ、生まれることに巧みであるために「化生」という。すなわち天、地獄、中有の衆生などである。
この中有とは何か? 死と誕生の状態の間にあるものである。死の状態と、誕生の状態の間に、別の場所に誕生するために身体を生み出すものを中有という。二つの道の中間にあるからである。
さて中有もまた欲界に属し、口いっぱいの食事を食べるのか? 答える。胃袋に入れるものではなく、香を食べるのである。まさにそれゆえガンダルヴァと呼ばれる。
中有はどれぐらいの期間存在するのか?
(一)期間は決まっていないと大徳はいう。誕生する条件が整わない限り、生まれ変わることはない。生命はひとつの集合体を共有しているからである。条件が整う前に生まれ変わってしまうならば、その生命は、死んだ後で死の状態のままとなってしまう。また須弥山ですらも肉体にできてしまう。夏の雨で一切が虫だらけになってしまう。それでは中有は、終わる時期を待っているものならば、何によって期間が終わると言うべきか? そのことは経典にも論書にも書かれていない。しかし以下のように考えられる。香りの味を求める寿命の短い者は無限にいる。彼らは、香りを得て香りの味を求め、寿命が尽きて虫の身体を生み出す業に目覚める。その渇愛によって虫に生まれ変わる。あるいは、その条件が十分に整った時期にのみ、それを可能にする諸々の業が熟し終わって活動を開始するのであって、それ以外の時期にではない。例えば、転輪王になることを可能にする諸々の業は、八万歳やそれ以上の寿命において生み出され、こうしてようやく転輪王として生まれ変わる。それより短ければ転輪王になれない。まさにそれゆえ世尊は「衆生の業の成熟は知り難い」と仰るのである。
(二)七日間存在するとバシュミトラはいう。もしその間に誕生する条件が得られなければ、死んで生まれるということを繰り返す。
(三)七七日であると別のものたちはいう。
(四)短時間であるとヴァイバーシカたちはいう。というのも、中有は誕生を求めるものだから、速やかに誕生に結びつくからである。一方、誕生する条件が整わず、その場所、その生で生まれることが決まっているならば、業がすぐに条件を整える。あるいは決まっていないならば、別の場所でその生を受けるだろう。
(五)ほかの者は次のようにいう。牛は夏に発情し、犬は秋に、熊は冬に、馬は春に、水牛やジャッカルは不定時に発情する。そのため牛が発情するときに水牛が発情したり、犬が発情するときにジャッカルが発情したり、馬が発情するときにロバが発情したり、熊が発情するときに狼が発情することがある。同様に、ある集合体である中有が、別の集合体で生まれることはできないことはない。同じ業に引かれるからである。