六度集経・布施波羅蜜

本生譚(ブッダの前世物語)を六波羅蜜に分類して説いている。

かくまった鳩のために自分の肉を鷹に切り分ける王様、干ばつで飢えた人々に自分の身を食べさせる大魚、飢えた虎に自分の身を食べさせる婆羅門、首がほしいという婆羅門に首を差し出そうとした王様など、自分の命を葛藤もせず差し出す姿が描かれる。故・上村勝彦先生が、授業で「こういう人たちは、命が惜しくないんですね」とよく仰っていたのを思い出す。

「そもそも身体は借り物のたぐいであり、必ず捨ててしまうものです」
「私はゆくゆくは年老いて死んでしまい、身は必ず捨てられてしまいます」

しかしこれはいかがなものだろうか。たとえ身体に執着しないことは仏教的にありだとしても、もし生きながらえていればより多くの命を救えたかもしれないし、命を捨てて救われた方も「自分のせいで」という自責の念にかられかねない。このような自殺行為は、無我とは反対のエゴイスティックなものを感じる。

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