盂蘭盆と精霊棚

まぶたをとじれば在りし日の
面影浮かぶみほとけを
よろこび迎えし盂蘭盆会
いのちの集い有り難や
(盂蘭盆会御和讃)

お盆に帰ってくる精霊は一般にご先祖様と考えられているが、仏教には49日で転生するという教えがある。とするとお盆に一体誰が帰ってくるのか、わからなくなってしまう。葬儀では未練を断って仏の世界に転生することを故人に勧めており、また成仏せずに別の人間に転生したとしても、精霊として帰ってくるのは無理がある。

そうなると亡き親たちが精霊として帰ってくるのは、転生せず(あるいはできず)にこの世にとどまっている場合になるはずだ。なぜ転生しないのかといえば、思い残しや未練があるからだろう。『倶舎論』には中有(転生するまでの期間)として49日のほかに、「業が熟するまで」という説がある。これを「思い残しや未練が解消するまで」(ほどける=ほとけになる)と考えれば、何年もの間(だいたい世代交代するまでの約30年ぐらい)、お盆や法事のときに帰ってくるのも説明がつきそうである。

考えてみれば、死を迎えることになったら思い残しや未練があるほうが普通だ。残された家族がいればなおさらのこと、配偶者のことが心配、子どもや孫が大きくなった姿を見たい……こういった思いは執着なのかもしれない。しかし「自らは終に仏に成らず、但し衆生を度し衆生を利益するもあり」(『修証義』)の心で、転生もせずに愛する人を見守り続ける存在が精霊なのではないだろうか。

大事な家族を失った遺族としても、遠くの知らない誰かに転生するよりも、ときどきでもいいから近くで見守っていてほしいという思いがあり、その眼差しを感じることで、自分を律し、毎日精進できるように思われる。

子らの焚く 迎え火の炎(ほ)の さゆらぐは
みたまの母の 来たまえるらし
(盂蘭盆会御詠歌)

明日からお盆の入り。ほおずきや野菜や団子(精霊棚)は亡くなった方々へ、ご飯などのお膳(盂蘭盆)はお釈迦様へお供えする。

精霊棚は、ほおずき=提灯、ササギ=手綱、そうめん=荷造りの紐、昆布=喜ぶ、りんごやかぼちゃ=食事、亡くなった方が喜ぶようなものをということで、今年はのし梅を下げてみた。

「孝慈を行ずる者、皆まさに所生の現在の父母、過去七世の父母の為に七月十五日、仏歓喜の日、僧自恣の日に於て、百味の飮食を以て、盂蘭盆の中に安じ」(盂蘭盆経)ということで15日、お釈迦様にお供えした「盂蘭盆」はご飯、茄子と油揚げの味噌汁、蒟蒻と干し椎茸と人参の煮物、高野豆腐としめじの照り焼き。その後棚経に周り、3日間で約40件を終了。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


reCaptcha の認証期間が終了しました。ページを再読み込みしてください。