中部経典第39経。仏教の沙門と呼ばれるからにはしなければいけない事柄を順々に述べ、その途中で満足せずに解脱を目指すべきことが説かれている。
①自らの過ちを恥じること
②身体の行為が清浄なこと
③言葉の行為が清浄なこと
④心の行為が清浄なこと
⑤清浄な生活
⑥感覚器官を誘惑から守る
⑦粗食
⑧不眠の努力
⑨日常的な全集中
⑩五蓋の遮断
⑪初禅から第四禅への深まり
⑫宿命智・天眼智・漏尽智の獲得
⑬四諦の知と解脱
この経典で特筆すべきは⑦と⑧と⑨。禅的な生活にも通じ、五観の偈や、如浄禅師のエピソード、瑩山禅師の喫茶喫飯を思い出した。
「戯れのためや、楽しみのためや、飾りのためや、装飾のためでは決してなくて、あくまでこの身体を維持し存続させるために、身体をこわさないようにするために、清浄行をたすけるためにとるのである」
「夜の中更に、右脇を下にして足の上に足をのせて、念いと正知をそなえて、目覚めることを考えて、獅子の眠りにつこう」
「食べるにも、飲むにも、噛むにも、味わうにも明瞭な意識をもって行おう。大便や小便をするにも明瞭な意識をもって行おう」