学会の次の目的は本探し。ヴァラナシはパンディット(バラモン教学の伝統教師)の故郷といってもいいほどパンディットがたくさんおり(シュクラ先生もヴァラナシ出身)、彼らが書いたサンスクリットの本が昔からたくさん出版されている。インド学の出版社を代表するモティラル、チョウカンバ出版を筆頭に、小さいところまで入れるときりがない。
そのひとつ、チョウカンバ出版に足を運んだ。街の中心部、チョウクから歩いていけるところだが、リキシャーも通れないぐらいの細い道が迷路のように張り巡らされているので、絶えず人に聞きながら進む。やたら奥まったところに「チョウカンバ・スラマーラティー」の看板発見。入ってみるとそこはまるで江戸時代の問屋のようだった。
入口に土間があり、その奥に座敷がある。高さ50センチぐらいの台の上で番頭さんがソロバンを…ソロバンはないが、注文書を整理していた。本を担いだ人たちが行ったり来たりしている。座敷に通されてしばらく欲しい本を告げ、しばらく待っていると、「注文した本はここにないから、奥の店にいけ」という。店を出てさらに小路を進んでいくと、その行き止まりに今度は「チョウカンバ・サンスクリット・シリーズ」という看板を発見。チョウカンバがいくつもあるのは紛らわしい。
さて入口から2階に上がると、同じように座敷で番頭さんたちが仕事をしており、若い衆が本を運んでいったり来たりしていた。本の名前を3冊挙げ、30分も待っていると2冊揃った。1冊は店にあったが、もう1冊は向こうのチョウカンバ(さっき行ったところ)から買ってきたという。よくわからない。
座敷の壁には額に赤い線の入ったおばあさん2人とおじいさんの絵がかけられており、その下、座敷の一番奥には額に同じ模様の入ったおじさんが陣取っている。こんなに分かりやすいものはない。絵の人が先代社長で、おじさんが今の社長なのだ。
社長は仕事の手が空くと、絵について訊いた私に丁寧に教えてくれた。1892年、チョウカンバ出版はここで営業を始めた。初代社長の絵はないが、中央に飾られているおばあさんが初代の奥さんで、出版社を切り盛りしていた。初代社長には4人の息子がいたが、家を継いだ長男(絵の人)のほかに弟たちもそれぞれ独立。これがチョウカンバ支店の始まりである。今はその孫、つまり今の社長の世代がさらに枝分かれし、おまけに仲違いもあってたいへん複雑なことになっているという。「ほかでも元祖を名乗っているところがあるけど、ここが本当の元祖なんだ」と社長。額の赤い線はクリシュナ信仰のマークである。
社長によると3冊目の本はどこのチョウカンバに行ってもないだろうという。しかし大学で出展していたチョウカンバ・バヴァンの店員が「店に行けばある」と言っていた。行き先を聞く私に、社長は親切にも電話をしてくれた。まずサンスターンという出版局にはなかった。「バヴァンはそこから卸しているんだからないと思うぞ」と言いながら、電話だけかけてくれ、「お前が話せ」と受話器をよこす。それでバヴァンにも探している本はないことと、この社長はバヴァンとは仲が悪いんだということが分かった。112年も営業していれば人間関係も複雑になるのか。その点モティラルは今年で101年だが、ジャイナ教徒だからか分からないが統率が取れている。
「今度来たらまた寄ってくれよ。」社長の暖かい言葉にヴァラナシでは珍しく心が緩んだ。