テレビ・ゲームを敵視しても

昨日、市PTAの研修会で、「映像メディアの幻想と弊害―むかつく・きれる・不登校・大人になれない青少年の背景にあるもの―」というタイトルで仙台の小児科医の講演会を聴いてきた。

タイトルの通り、現代の子供が自己肯定感がない、自尊心がない、笑顔がない、その原因はテレビの見過ぎ、(デジタル)ゲームのやりすぎが大きな原因だという話で、メディア漬けを脱して、現実的体験や親子の絆を取り戻そうという講演だった。

根拠として三白眼をした携帯ゲーム中毒患者の子供が、ゲーム断ちをしたら1か月後こんなに笑顔を取り戻したというような比較写真を次々提示し、笑顔や会話を司る前頭葉が、ゲーム中ははたらいていないというデータ(いわゆる「ゲーム脳」)を見せる。

講師にはたいへん失礼ながら、公演終了後、真っ先に挙手して反対意見を述べさせて頂いた。現代の子供が抱える問題は、メディアに一因があるにしても、全ての元凶という言い方は問題の根本を見誤っている。自己肯定感がない、自尊心がない、笑顔がないというのはまず大人が抱えている問題であり、子供はそれを忠実に映しているだけではないか。根拠として、一部の中毒患者の症例から全ての子供に広げるのは過度の一般化であること、坐禅時の脳もゲーム脳と近くそれ自体が問題だといえないこと、実際問題、テレビ・ゲームに代わるものを探すのは容易でなく、そのストレスが大きいことを述べた。

講師の先生は明らかに顔が曇っていて申し訳なかったが、社会の責任、親の子育てへの積極的な関与という言葉を引き出すことができた。特に「子供と花札やトランプでもして」という回答は大いに満足した。

現代は家族の絆が薄れているというのと、メディア漬けの子供が多いというのは間違いない事実であろう。しかしその因果関係は、メディア漬けだから家族の絆が薄れているのではなく、家族の絆が薄れているからメディア漬けになると考えたほうが自然だと思う。

ではなぜ家族の絆が薄れているかといえば、「他者や自己の存在感が希薄になっている」(南直哉)という、テレビ・ゲームよりももっと根源的な問題なのだ。それは例えば働いても働いても昇給しない(どころか最近では就職すら危うい)デフレ社会だったり、個人や個性を尊重する教育だったり、さまざまな要因によるものである。それぞれの事象が良い面と悪い面の両方を抱えており、何か1つをスケープゴートにしても解決しない。

実際には、家族に問題を抱えている子供を学校や地域がサポートしていくことが、「ゲームやめろ!」なんていうよりずっと大切なことである。

もうひとつ、講師の話に抜け落ちているものは「遊び」への理解だったように思う。「気晴らし」という言葉が出てきたが、遊びは単なる気晴らしではない。子供は仕事(学び)と遊びを区別しておらず、真剣に遊ぶ中で、好奇心や社会性などの生きる知恵が育まれていく。だから多くの親がテレビ・ゲームより楽しい遊びを提案できないということが問題だというなら諸手を上げて賛成で、こんな反論はしなかっただろう。

講師も、私の反論に答えたいことはもっとあったようで、終わってから直接お話しさせて頂こうかと思っていたが、拍手でお見送りとなった。終わって会場を出ると知人が次々と現れ、ムキになって反論してしまったことが恥ずかしくなってしまった。でも「私もそう思って聴いていました」と言ってくださる方もいて慰められる。

家に帰って長女に講演の話をしたら「うちのクラスにはゲームをするけど、いつも笑顔でクラスの人気者がいるよ」というコメント。論理的でたいへんよろしい。講師は子供を素直に育てましょうと仰っていたが、こんなことをいうのは素直ではないのだろうか。いろいろ考えて夜もなかなか寝付けなかった。

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