映画(16) 思い出し笑い

あるゲーム関係の掲示板で、インド放浪中のゲーム愛好者がいることを知る。インド各地のネットカフェから簡単な近況報告をしていたが少々退屈している様子。そこで時間があったらプネーに来て遊ばないかと誘ってみると、南インドのコーチンから36時間かけてやってきて下さった。彼とは全く面識がない。つくづくインターネットの偉大さを思い知ると共に、ボードゲームというマイナーな趣味が人をつなぐ強さを感じる。
Vさんはウォーハンマーというミニチュアゲームが趣味。各自が思い思いに彩色したミニチュアを机に並べて戦争をするというイギリスのゲームだ。台となるボードはなく、移動や攻撃は物差しで計りながら行う。ゲーム人口はとても少ないそうだが、プラモデルのような彩色の楽しみと、自由度の高いゲームのルールで、はまる人は徹底的にはまるという。私は遊んだことが全くないが、Vさんの話を聞いていると試してみたくなってきた。
インドに来たのは刺激や意外性を求めてのことだという。どうも今の日本や欧米は予想通りの展開が多い。インドに来れば予想を裏切る劇的な出来事や人物がたくさんいそうだ……なかなかゲーム的な思考で面白い。コルカタでサッカー日本・インド戦を見た後、カーリー寺院で山羊の首が切り落とされるのを日がな眺めたり、南インドのビーチで獲ったばかりの魚を刺身にして食べたりしていたが、例によってカム・トゥモロー(毎日毎日「明日来い」)攻勢に逢ったり、観光地の強欲なインド人と交渉ばかりしているうち、さすがに独りだけの長旅は疲れ始めたことだろう。「あと5分!」というのは30分ということなど、最初は意外だと思ったことも、だんだんと底が見えてくるにつれて刺激に慣れてしまう。
プネーは観光地でないことと、保守的で信仰深い土地柄から、外国人相手にぼったくろうという悪いインド人はまずいない。さらにここには適当な人数の日本人が着かず離れずのコミュニティーを作っており、そこに入ればVさんの旅の疲れはいくらかは癒されるだろうと考えた。
到着した翌日はまず映画。これは単に私が前から見たかったもので、Vさん向けだろうなどと考えたわけではない。ただ映画は1人で見るよりも2人で見た方が、後からあれこれ話ができるので面白い。
キングオブボリウッドKing of Bollywood(キング・オブ・ボリウッド)
〈あらすじ〉
 KKのイニシャルで親しまれた往年の名俳優カラン・クマールは、自らボリウッド映画界の王様「キング・オブ・ボリウッド」を自認していたが、時代は過ぎ去り過去の栄光となっていた。そこにイギリスのテレビ製作会社からクリスタルがドキュメンタリー番組のため取材に来る。KKはこれを機に復活を果たそうと自分が監督主演の映画を作ろうとする。
 しかし映画制作ははちゃめちゃ。イギリスを舞台にKKが大学生役という無理のある筋書きに加えて、スポンサーがお金を出す代わりに出演させた情婦にKKが手を出したり、また別のスポンサーの息子を殴って「この映画でヒーローは俺だけだ」などというものだからお金もつかない。筋書きもころころ変わり、しまいには父親役、祖父役も全部KKという、非常に無理な一人三役。当然のことながら、完成した映画は観客の大ブーイングに終わる。
 しかしそんな中、取材を続けたクリスタルは、幼い頃からKKの息子としてマスコット扱いされてきたラーフルを理解し、はじめは逆らっていたラーフルも、次第に父親を理解するようになる。また、KKの自己中心で浮気な性格を嫌がり、アルコール中毒になっていたKKの妻で元映画女優マンディラも、この親子の絆が取り戻されたのを機に映画界復帰を考え始める。こうしてKKはクリスタルを主演女優、ラーフルを主演男優、そして自分と妻も出演する新しい映画「ハリウッド・ボリウッド」を打ち上げるのだった。
〈感想〉
映画を見ている間は笑えず、終わってからVさんとしゃべっているうちにだんだんおかしくなってくる映画だった。三世代一人三役はないよねとか、KKが首に下げている「KING」というネックレスがほしいとか、KK役のオーム・プリーは一体何頭身なんだろうとか、あの顔の大きさと濃さはインド人でもまずいないとか。後からの思い出し笑いには事欠かない。
一台のカメラで会話を撮っているため、画面が行ったり来たり、ぐらんぐらん揺れるのに、私は酔ってしまった。後半は気持ち悪くて目を開けることができない。低予算である。
KKの映画が不評で満員の観客がスクリーンに向かってものを投げるシーンがあるが、一方我々が見ているその映画は、午前中49ルピーの特別上映でがらがら。「あれでKKの映画ががらがらというシーンだったら、シャレにならないですよね」とVさん。
さて映画を見てからは市内で用事をすませた後、ヴィナヤクさん宅へ。インド人の生活に直に触れるというのは、ホームステイでもしない限り、その地にしばらく住んではじめて可能となる。ましてや往来が多い観光地で特定のインド人と気の置けない仲になることは不可能であるか、ときには危険でさえある。ちょっと前にヴィナヤクさんから「今度遊びに来てください」と誘いを受けていたのは、絶好の機会だった。ちょっとした日本からのおみやげをもって訪問。
必要最小限のスペースしかなかったヴィナヤクさん宅は、里帰り出産していた姉が帰り、兄が結婚して外に行ったため今は両親と祖母と3人暮らし。そうなるとめっぽう広く感じる。つくづく、家が広い狭いという感覚は住人次第でいくらでも変わるものだと思う。あかちゃんが一人いるだけでずいぶん狭く感じるし、反対にお年寄りしかいないと広く感じてしまう。
驚いたことに、Vさんが来るというので連絡して、こちらで決めた訪問日が何とヴィナヤクさん24才の誕生日。連絡したときヴィナヤクさんが嬉しそうに「はい、どうぞ、来てください」と言っていたのはそのためだった。ちなみに翌日は去年生まれた甥っ子サイラージ君の1才の誕生日だという。
ヴィナヤクさんは大学で試験があるというので帰宅が予定より遅れたが、お母さんは料理の過程をを間近で見せてくれたので退屈しない。そのうちヴィナヤクさんが帰宅し、3人でしゃべりながら料理を見物。Vさんとヴィナヤクさんがチャパティ伸ばしに挑戦し、なかなか丸くならなくておかしい。その点お母さんの手さばきは見事。上機嫌のヴィナヤクさんも日本語ではやしたてたり、拍手したりして面白かった。こういう敷居のなさがヴィナヤクさん家のいいところだ。
こうして一部始終を見ていた料理が美味しくないはずがない。チャパティとジャガイモのカレー、野菜のおかず2品に、タマネギのビリヤーニ(ピラフ)。いつも通り、翌日の昼食まで軽食になってしまうほどのご馳走だ。食事中、ヴィナヤクさんが指でこぼさないように食べる方法とか、お替りをするときは皿を差し出さない(卑しく見えるから)とか、皿の上でチャパティーとライスの場所は別にする(これもマナー)とか、ためになるアドバイスをもらった。
食事の後、誕生日の小さなセレモニーが行われる。お母さんが神様に捧げものをして、それをヴィナヤクさんに向ける。頭から米をかけ、口に砂糖を入れて、灯りを回す。それからヴィナヤクさんはお母さんの足元にひざまずき、足の甲に自分の頭をつけてお拝をした。それからお父さんにも同じくお拝。きっと子どもの頃から毎年ずっとやっているのだろう。しかし日本ではいつの間にか失われた「お父さん、お母さんは神様です」という考え方はなぜか懐かしく、日本にいる母親のことを思った。ハッピーバースデー、ヴィナヤクさん!
Vさんが来なければ家にずっといたであろう1日が、こんなに色とりどりになる。思考の海に独り溺れている日常で、人と会うことは本当に楽しい。「朋あり遠方より来る、また楽しからずや。」

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