著:瀬地山 角(光文社新書、2020)
ジェンダーの視点から批判を受けたCMを女性視点・男性視点、性役割の現状追認・外見容姿の強調という4つの軸で分類・分析する。大学の講義に基づいており、笑いも交えていて堅苦しくなく、それでいて関連データも入っていてネタいじりに終始していない(データ豊富だったのが購入したきっかけでもある)。
- 「男と女は違うけれど平等だ」という異質平等論は例外はいくらでもある。性差より個人差。
- 結婚相手の条件として女性が男性に求めるものは、人柄に続いて「家事・育児の能力」、その次が「(女性の)仕事への理解」(出生動向基本調査)。だから母親がワンオペ育児をしてお父さんが幽霊みたいにちらっとしか出てこないCMは(それが現実だからこそなおさら)炎上する。
- 女性が家事や子育てのために正社員の就労を諦めると、生涯で約1億円の収入が失われる。ところが夫が1日3時間家事をすることで妻が正社員として働き、300~500万円の年収が得られるならば、夫の家事の時給は3000~5000円ということになり、残業代より高くなる。だからおだててでも夫に家事をやってもらうCMは合理的である。
- 家族の歴史は、その機能を外部に移譲していく歴史。たかだかひと世代前の慣習・習慣で、家族像を「伝統」と勘違いしてはいけない。「伝統的な日本食が崩壊している」と嘆く食育も同じ。CMが目指すべき方向性は懐古ではなく、時代の半歩先=今なら男性が子育てに積極的に関わる姿を描くこと。
- 東京都のオリパラキャンペーンにおけるチラシで「僕らのおもてなし」という表現に抗議し、結局回収になった話。回答で「差別する意図はございませんでした」というのは当たり前で謝罪にならない(意図があったらヘイトである)。「複数の女性スタッフや男女大学生に見てもらって進めた」というのは、”I Have Black Friends”論法で、彼女たちが反対しなかったことは、差別的でないことの論拠にならない。
- 地方の公立高校から東大・京大に入る女子が男子と比べて極端に少なく、地元旧帝大に入る女子は男子より多く、浪人の男女比は6:1。「女子は地元から出ることは許されず、浪人することを認められていない」ことを示している。同じように「女性はいつもひとつずつ下にずれる」現象がどのレベルでも起こっていることに鈍感であってはいけない。
- 外見を最優先にできないのは誰にでもあるのに女性にだけ圧力がかかるのは不当という話で、「イカ東=いかにも東大生」(ジョギングシューズ、太めのジーンズ、チェックのシャツをイン、ベルトが細い黒)、「ママに見えないが最高の褒め言葉」という広告で、東大生にとって最高のほめ言葉は「東大生には見えない」という話はあるある過ぎてウケた。
本書で取り上げられたCMの動画をいくつか見た。確かに違和感は感じたが、味の素も牛乳石鹸も宮城県もムーニーもサントリーも、そこまで目くじらを立てるほどでもないような気がしたのは、私の中のアンコンシャス・バイアスのせいだろうか?(その違和感を文字にして発信するのが炎上なのかもしれないが)