妙法蓮華経如来神力品

妙法蓮華経如来神力品を講読。こちらは安楽行品とは異なり、現在でも法要で読まれている。お釈迦様と多宝如来が神通力によって舌を天まで伸ばし、そこから光を放ち、その光から幾千満億の菩薩が出現して教えを説き、さらに数十万年後、舌を引っ込めて咳の音と指を弾く音でお釈迦様が悟りを開く姿を皆に見せたというお話。

不思議すぎて正直ついていけないが、その後に説かれる「仏塔を建て、法華経を読めばどこであってもお釈迦様に会える(是の処は即ち是れ道場なり)」という教えは、仏は身近なところにおり、私たちは日常生活の中で誰でも仏になれるという意味で大切なのかなと思う。

「道場」は梵文で「悟りの壇(ボーディマンダ)」つまり菩提樹の下の金剛座ということで、法華経を読めば、どこであってもまさに見釈迦牟尼仏できることになる。

よもすがら終日になす法の道 みなこの経の声とこころと(道元禅師・詠法華経)

汝らはこの経典を尊んで記憶し、教え、書写し、読誦し、説明し、思慮し、またそれに供養すべきである。良家の息子よ、いかなる場所であれ、この教説が読誦されたり、解説されたり、教示されたり、書写されたり、考えられたり、話されたり、吟誦されたり、あるいは書物にされて置かれたりするところでは、そこが遊園であれ、僧院であれ、家であれ、森であれ、都市であれ、樹の根元であれ、楼閣であれ、庵室であれ、窟院であれ、その場所に如来のために祠堂が建立されるべきである。それは何故であるか。全ての如来にとって、この場所は実に悟りの壇であると知るべきだからある。また、その場所において、完全な悟りに到達した阿羅漢の如来は全て、この上なく完全な悟りに到達したと知るべきだからある。また、この場所において、全ての如来によって教えの車輪が回されたのであり、さらにこの場所において、全ての如来は完全に平安の境地に入ったと知るべきだからである。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


reCaptcha の認証期間が終了しました。ページを再読み込みしてください。