昨年の暮れ、米沢女子短大で授業とは別に1コマだけ講義。就職や進学が思うようにいかない学生も多いということで、ウィズコロナの時代に自分を見失わないためにというテーマで、学生のエールになるような講話をといわれ、考えたのが「自己とは何か~ウィズコロナ時代に見つめ直す「自分」」。バラモン教の「梵我一如」から仏教の非我説・無我説を紹介し、最終的に自己とは他者との関係性で成り立っていること、自分の心の中には、亡くなった人も含めたくさんの他者が(無意識の記憶というかたちで)住んでいることを話した。自分=他者の集合体という話だ。
年明けて公民館の写経教室では『スッタニパータ』の「犀の角」章を解説。他者と関わりつつ自立した生き方をするには支配・被支配関係になってはならず、逆説的に他者を尊重しなければならない。ステイホームでDVが増えている話も交えて、自ら「賢明で、協同し礼儀正しい明敏な同伴者」になるため、命令でなくて提案を基調としたコミュニケーション(アサーション=自他尊重の発話)を紹介した。自分=他者の集合体ならば、自分を大切にするということは他者を大切にするということになります。
しかし自分と他者の意思のどちらを優先するかという場面は確実にあり、ケースバイケースで折り合いをつけているのが現実。そのため、自分=他者の集合体は完全にイコールにはならないが、少なくとも自分の内外に多くの他者の存在を感じることで、孤独でない毎日を送れるのではないかと思っている。