県男女共同参画センターのやまがた緑塾を受講。1回目は「ジェンダー及び男女共同参画とは何か」というテーマだった。
ジェンダーは「社会的・文化的に作られた性別」で、「女らしさ」「男らしさ」「女の役割」「男の役割」などというときの「男」「女」のこと。だとすれば元来偏った不平等なものであり、そのまま性自認として受け入れられないこともあるような気がする。「あなたは男ですか、女ですか?」「どっちも嫌だと思っています」というような答えはありなのだろうか。
女子差別撤廃条約(1979)では、「男子の伝統的役割を女子の役割とともに変更することが男女の完全な平等の達成に必要である」と書かれており、ジェンダーの中身を書き換えることを目指していたようだが、男女共同参画社会基本法(1999)では、「(男女が)性別にかかわりなく、その個性と能力を十分に発揮することができる」となっていて、ジェンダーを不問にしている。
ジェンダーの中身を書き換えるのは、何に書き換えるべきか(理想の「男」「女」とは何か)と、どうやって書き換えるのか(新しい男女観の普及)という二重のハードルがある。それだったら「男女を論ずることなかれ」(道元禅師)と言ってしまったほうがよほど気楽ではないか。
問題は自認の問題よりも、他者の価値観の押し付けにあるようだ。性差別はもちろん、「男って」「女って」と十把一絡げに話すことも私は好まないが、それは無意識のうちにその人の固定観念や偏見で、誰かに窮屈な思いをさせてしまうかもしれないからである。「そうでない人は、男(女)でないということですか?」
他人に押し付けられず、内容を各自が自由に決められる「男」や「女」。それはもはやジェンダーではないかもしれないが、「みんなちがって、みんないい」のだと思う。