中部経典第13経。「一切皆苦」というと、この世界には楽しいこともあるし、楽しいこともあるからこそ生きていけると思うが、お釈迦様にはどういった意図があったのか記されている。
視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚で意にかない、欲望をそそり、心が染められるものが苦しみや患いをもたらすという。それらを得るための仕事の苦しみや危険、得られなかったときの悲しみ、得たとしても奪われる心配、得るための争い、得るために犯罪に走ったときの刑罰、得るための身口意の悪行による死後の悪趣への転生。こういったものから離れるには、欲望をそそるものの正体は取るに足らないものと知ってシャットアウトし、安楽の境地を目指す。
欲望に歯止めが効かなくなって大いに苦しむというケースだけでなく、日常的なちょっとした欲がすでにちょっとした苦しみのもとになるという考え方。時代背景も全く違うし、経験的に分からなくはないが、許容範囲の苦しみは人生のアクセントになるし、幸せは正の高低差、不幸せは負の高低差であるとすれば、ある程度の苦しみはもっと大きな幸せへの元になりうるとポジティブに考えることもできるのではないかと思う。欲望のコントロールがポイントのようだ。
「比丘たちよ。諸々の欲望をそそるものからどのように離れるのか。いかにも、何であれ、諸々の欲望をそそるものに対する自己の志欲・貪欲を制御し、志欲・貪欲を捨てること、これが諸々の欲望をそそるものからの離脱である。」