中部経典第10経。身体・感受・心・法の4つをじっくり観察するという修行法が説かれている。心身の無常なることを観察し、悟りから遠ざかるようなことを滅し、悟りに近づくことを生じさせるという道筋である。知行併修の修行法といえる。
①身体の観察:坐禅による呼吸の観察、行住坐臥の観察、死体の観察
②感受の観察:苦・楽・不苦不楽の観察
③心の観察:貪瞋痴の観察
④法の観察:五障・五蘊・十八界・七覚支・四聖諦の観察
「食べたとき、飲んだとき、噛んで食べたとき、味わったときも正しく知る者である。大小便をするときも正しく知る者である。行き、立ち、坐り、眠り、不眠を行ない、しゃべり、黙っているときも正しく知る者である。このように内部から身体を観察しており、あるいは外部から身体を観察している。身体において生起の法を観察しており、あるいは身体において衰滅の法を観察している」
これは瑩山禅師の喫茶喫飯の教えにつながる。只管打坐から、只管食事、只管家事、只管大小便、只管入浴、只管睡眠と日常生活全般へ。今自分がしていることに意識を向けて、それにひたすら集中すると、少なくともそうしている間は、自分自身や他の物事への執着がなくなるように思われる。平常心是道。