「コロナのせいで」

「元々、葬儀も法事も簡略化したいのに世間体とか親戚の圧力があってできなかった人たちが、”コロナのせいで”という口実を得て、都合良くどんどん簡略化している」
BUZZmag:ある住職が語った『感染拡大で変わったこと』に、深く考えさせられる

「コロナで時代が10年進んだ」という言葉を聞いた。たくさんのお客さんを招いての葬儀法事だけでなく、学校行事も地域行事も、形式的で意味を見いだせなくなっていた物事が「コロナのせいで」どんどん中止・縮小している。「そんなにやりたくなかったのか……」とかえって気の毒に思うことすらあるくらい。

私も懇親会付きの会議がすっかりなくなって内心ほっとしているが、その反面、本当に何も支障がないのか(例えば社会的な生き物である人間が人と会わないとどうなるのかとか)考えなければいけないと思っている。お寺の行事に関して言えば、コロナ禍前からすでにお寺には集団の結束の維持・強化をする力がなくなってきており、それが顕在化してきたともいえる。

おかげで時間はたっぷりできたので、意味を伝えること・考えることにもう一度立ち返って、ひとつひとつ再起動していこうと思う。

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