赤旗に挟み込む広報誌に寄稿を依頼された。空きまくった時間で今読んでいる『「死」とは何か』(シェリー・ケーガン)の影響を受けている。
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新型コロナウィルスにより国内で三百人以上、世界で十九万人以上の方が命を落としている。私たちも無縁ではなく、どんなに用心していても今後絶対に感染しないということはない。だから世界は今、感染の恐怖、死の恐怖に包まれている。
死ぬ間際になって後悔しないよう、生きているうち、元気なうちにしておきたいこと、しておくべきことは何だろうか。これは仏教で最も大事とされる問題である。「人間の寿命は短い。頭髪に火がついて燃えている人のようにふるまえ。死が来ないということはあり得ないからである。(サンユッタ・ニカーヤ)」
ではどのような毎日を送れば後悔しないのか。美味しいものを食べる、見たいテレビ番組を見る、そういう小さな満足を積み重ねるのも悪くないが、単なる時間つぶしにも見える。それよりももっと満足度が高いものとして勧められるのは「他者のために何かをすること(利他行)」である。料理でも掃除でも仕事でもボランティアでも、家族や近所の人やお客様に喜んでもらいたいと思って行うこと。逆に自分が何かしてもらったら笑顔で「ありがとう」ということ。
ときにはそんな心の余裕がない日もあるかもしれないし、相手に喜んでもらえないことだっていくらでもあるだろう。しかし自己満足と呼ばれようが、お節介と言われようが、少なくとも喜んでもらいたいという気持ちで何かしている間は幸福感が得られるものだ。
さらに他人の悪口を言わず、「私が嫌いな人も、私を嫌っている人も、みんなが幸せでありますように(慈悲の瞑想)」と祈ることができれば毎日がもっと明るくなる。意見や立場が違う人も嫌わず、何とか折り合いをつけてそれなりに仲良くやっていく。だから私は、安倍さんを批判する人にも、安倍さんを批判する人を批判する人にも、(そういう生き方を否定するものでは決してないが)「それは本当にあなたが死ぬまでにしたいことですか?」と問いたいのである。