『ヒトの本性 なぜ殺し、なぜ助け合うのか』


著・川合伸幸。

比較認知科学の知見から、ヒトのヒトに対する攻撃性と、共感し援助する性質という矛盾を解明する。後者の理由としては攻撃性の高い個体が社会から放逐され、穏やかな人のみ子孫を残せたという「自己家畜化仮説」と、暴力を抑制する理性が加速度的に高まってきたという説がある。

  • 人は尊敬し称賛している人にいわれるほうが、自分の行動により強く責任を感じる。子どもに罰を与えるときには品位を損なわないよう、批判的・懲罰的・侮辱的な言葉をなるべく使わない(模倣学習)
  • 男性は魅力的とされた女性の写真を見ている時、戦争に対して肯定的な回答をする。女性は男性の写真に対してそのような態度は示さない。向こう見ずな行動は、女性に対して将来生まれてくる子どもを守る力があるとう信号ではないか(男性の攻撃性)
  • 4歳児の女の子たちにぬいぐるみをひとつだけ置くと、そのぬいぐるみを手にした女の子をほかの女の子たちは仲間はずれにしたが、男の子の場合は直接奪いに行った(女性の攻撃性)
  • 刑務所のセットで看守と囚人に分かれて演じる実験をしているうち、看守役がどんどん残虐化した監獄実験。秩序を乱すものに集団を代表して罰を与えるという正義感の怖さ(人間の残酷さ)
  • 4つのグループに5ドル/20ドルを与え、自分のため/他人のために使うよう指示したところ、幸福感が高かったのは金額を問わず、他人のために使ったグループだった。他人にお金を与えたとき、脳ではお金をもらったときと同じ領域が活性化する。しかも強制的に徴収されるよりも、自発的に寄付したほうが活動が高い(与える喜び)
  • 協力的なチンパンジーと独占的なチンパンジーのどちらかをパートナーとして選ばせると、ほかのチンパンジーは協力的なほうを選ぶ。結果、独占的なチンパンジーは食べ物を得る機会を失う(分配への寛容)
  • 他人が痛みを感じるのを見ているときには、自分が痛みを与えられたときと同じ脳の領域が活動する。しかし相手が公正でない人物だと分かると、あまり活性化しない。それどころか男性は快感と関係した報酬領域が活動する(共感)

人は生存と子孫を残すために集団から仲間はずれにされることを極端に恐れ、自分が正しいと思っていなかったことでも他人の考えに同調し、その結果としていじめや攻撃も辞さなくなったという。いじめは本能に根ざした根の深いもので、人間が社会的な生活を続ける限りなくすことは不可能といえる。その前提に立って、穏やかで理性をもち、人の痛みに共感し与えることを喜べるようになるにはどうすればよいか、考えてみようと思う。

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