世間感覚とのズレ

曹洞宗東北管区教化センター広報(62号)に、葬儀についての座談会が収録されていて、次のような言葉が印象に残った。

近年、僧侶の兼職率が減り、社会の経済価値観とかけ離れた僧が少なくない。特に若い僧侶に顕著である。檀信徒の葬儀が地味になる傾向に対し、山門法要は派手になってきている。地味な檀信徒法要を「よろしくない」ときめつけるのは、僧侶側の感覚がズレているのではないかと思える。(深瀬俊路師)

この視点は決してなくしてはならないものだと思う。そのお布施の額だけ働くのがいかにたいへんなことか、それだけのお布施を受けるに値する人間なのか、頂いたお布施を社会にきちんと還元しているか。ややもすると鈍感になってしまう部分である。

不偸盗戒・与えられざるものを手にすることなかれ。お布施を下さる方の思いをしっかり受け止めなければ、偸盗(お布施どろぼう)と言われても仕方ないだろう。

世間感覚が麻痺しないように、「この金額、どう思う?」とときどき妻に訊ねたりしている。吝嗇はいけないが、出すところ、締めるところのメリハリをしっかりとするように心がけたい。

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