曹洞宗では平成22年から2年間にわたって、僧侶・寺族の研修会で手紙・口頭による相談の模擬体験を行った。死にたいという人に、どのような言葉をかけるべきか、どのような態度で接するべきかを実践的に学ぶ研修で、私自身も参加してたいへん勉強になった。
その総括パネルディスカッションが曹洞宗報6月号に掲載されており、興味深く読んだ。「僧侶はカウンセラーではないのに、カウンセラー養成のようなことをなぜやるのか」、「従来のように、宗旨や法式について研修するほうが大事ではないか」、「寺院運営についての講義のほうが大事ではないのか」などといった疑問に丁寧に答え、「活かし方が分からない」、「力不足で悩みに対応できない」、「忙しくて檀信徒と話をする時間がない」といった不安に励ましを与え、今後、組織的な実践について展望している。
お葬式のときに時間がないからといって一言も言わないで帰る僧侶に、「お悔やみの気持ちを表すことだったら三十秒でできるでしょう」といった方がいるそうだ。この研修は、悩み事相談のノウハウを教えてもらうより、普段からの檀信徒との接し方、ひいては僧侶としてのあり方を考えることを目指しているという意見はたいへん感銘を受けた。法事の申し込みを受けるときでも、日程調整のほかに一言、檀家さんに言葉をかけられれば、法事がより意義深いものになるのだと。
翻って反省すれば、出かける直前や葬儀の準備中、家事で取り込み中などに檀家さんがお見えになると、「お茶どうぞ」の一言を出せないことがある。そんなときはきっと、顔も強張って、眉間にしわを寄せたような顔になっているかもしれない。檀家さんは用件だけ済ませてさっさと帰ってしまい、私は檀家さんのこころに向き合うという貴重な機会を失う。私自身のこころに余裕が足りないのだろう。簡素な暮らしを心がけていきたいところだ。