葬儀社懇談会

祖母の葬儀でお世話になった葬儀社さんと懇談会を行った。葬儀が終わって、社員の方が集金にいらっしゃったときにあれこれ話し込んで、寺院と葬儀社がもっと双方向的なコミュニケーションを取っておく必要があるのではないかという話になったのがきっかけである。

首都圏のように、葬儀社専属の僧侶という方はまだいないようだが、葬儀社の存在感は確実に高まっている。亡くなって遺族が最初に連絡するのは葬儀社であり、寺院に連絡が来るのは遺体を搬送して、枕飾りをしてからだ。ホール葬が一般的となり、「葬儀はできるだけ自宅かお寺で」と呼びかけていた7,8年前とはもはや隔世の感がある。

そのような状況で、葬儀社が寺院の領域を侵したり、寺院が無理にイニシアチブを取ろうとして混乱したりするというケースも見られるようになってきた。よい葬儀にするには、葬儀社と寺院の協力が不可欠である。

葬儀社がよく困るのは、準備するものや次第が寺院によって大きく異なるということだという。たとえ同じ宗派でも、地域や住職の考え方によって葬儀はがらりと変わる。お客様である遺族に対応しつつ、寺院のそれぞれのやり方に細かく対応するのは骨の折れることだろう。それでも葬儀社は、よい葬儀になるように努めて対応している。寺院としても、葬儀社に要求するばかりでなく、自ら為すべきことがあるように思う。

今回の懇談会は、双方向的になるようにテーブルをロの字に並べ、他宗のお寺さんにも参加頂いて、予め葬儀社の社員さんがアンケートを取ってきた疑問点に答えるかたちで行った。葬儀社から次のような質問が出された。

  • 寺院には深夜何時ころまで、早朝何時ころから連絡をしてよいか
  • 葬儀社が提供している食事の評判はどうか
  • 享年の計算で、誕生日にかかわらず満年齢+1という方がいるがそれは正しいのか
  • 食事のお膳と、食事料のどちらがよいか
  • 戒名掛け軸(小国町を除く山形県置賜地方の風習)はあまり作らないほうがよいのか
  • 喪家で仏壇の扉は開けておくか、閉めるか
  • 家の過去帳に別の家の人の名前を載せてよいか
  • 思い出ビデオの上映の是非
  • 納骨のとき骨瓶を使うか、お墓の中に空けるか

多くの質問は、一般檀家さんからもよく聞かれることで、市の仏教会や近隣の寺院会で話題になることばかりである。いずれも正解・不正解がはっきり決まることではないことに注意を喚起しつつ、私なりの考え方で答えさせて頂いた(数え年≠満年齢+1ということは間違いないと思うが)。結局、住職によって考え方は異なるとはいえ、その背景を理解すればうまく応用して対応できると思う。

話し合いの中で、葬儀は仏式とはいえ儒教や神道などのさまざまな要素から成り立っていることに話が及んだ。それゆえにひとつひとつの行事をさまざまに捉えることができ、正統・異端という区別ができない。仏教以外の要素を許さない原理主義は狭量だし、そもそも、仏教自体が時代と地域によって大きく変容しているという事情もある。

私自身多くの知見を得ることができ、ためになる懇談会だった。葬儀は、参列者が生と死を静かに思う場であり、寺院にとっては仏教を伝える大事な機会となる。よりよい葬儀を目指して、今後も定期的に双方向的なコミュニケーションを図っていきたい。

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