お釈迦様が息子を亡くした信者の家に赴いて話したとされるジャータカ(前生譚)。
バーラーナシーにダンマパーラというバラモンがいた。常日頃から家族と死について瞑想し、申し送りして、いつ不慮の死を遂げても心配のないようにしていた。ある日、そのバラモンと息子が畑に出かけたとき、息子が毒蛇に噛まれて死んでしまう。バラモンは冷静に葬儀を進めた。死んだ息子は天界に生まれ変わったが、家族への憐れみでバラモンの姿になって家族に会いに行く。まずは自分の体を火葬していた父親と会う。立派な息子が亡くなったのにどうして嘆かないのか訊かれた父親はこう答えた。
「蛇が古びた皮を脱ぎ捨てていくように、亡き者は遺骸を捨てていく。焼かれても、遺体は痛みも親族の嘆きも知らない。だから私は嘆かない。彼は、どこであれ行くべきところに行ったのだ」
続いて母親に会う。手塩にかけて育てた息子が亡くなったのにどうして嘆かないのか訊かれた母親はこう答えた。
「息子は招いてもいないのにここに来て、許してもいないのに行ってしまいました。来たときのように、ただ、行ってしまいました。それを嘆いて、何の役に立ちましょうか。焼かれても、遺体は痛みも親族の嘆きも知らない。だから私は嘆かない。彼は、どこであれ行くべきところに行ったのです」
妹も泣いていなかった。
「泣いても、私自身がやせ細るだけです。そんな結果はいかがなものでしょうか。親族や友人知己が、私のことまで悲しみ悩んでしまいます。焼かれても、遺体は痛みも親族の嘆きも知らない。だから私は嘆かない。彼は、どこであれ行くべきところに行ったのです」
奥さんも泣いていなかった。
「『月が昇ってどんどん遠くに行ってしまう』と泣く子供のように、亡き者を嘆く者も同じことをしているのです。焼かれても、遺体は痛みも親族の嘆きも知らない。だから私は嘆かない。彼は、どこであれ行くべきところに行ったのです」
さらに侍女。侍女もまた、息子に大事にされていたのだが泣かない。
「割れた水瓶をもとどおりにくっつけることが二度とできないように、亡き者を嘆く者も、同じ結果しか得られません。焼かれても、遺体は痛みも親族の嘆きも知らない。だから私は嘆かない。彼は、どこであれ行くべきところに行ったのです」
バラモンの姿をした息子は、全員の答えを聞いて喜び、こう言った。
「あなたがたは、ここまでしっかり死について瞑想してきました。私はあなたがたに、もうこれからは耕さなくていいように、食べ物を差し上げましょう」
そして彼らの家を宝で満たし、布施を怠らないように、戒めを守り、定期的に反省会を行うように励まして、自分の正体を明かしてから天に帰った。家族もそれから善行に励み、死後、天界に赴いた。この息子が、お釈迦様の前世である。
(藤本晃『死者たちの物語』国書刊行会)