昨日の夜に珍しく寝付かれなくてここ10年のことを振り返っていた。実は結婚してもう10年目を迎えている。
妻が就職した2001年3月に結婚してつくばに引越し、2002年4月に長女が生まれた。このとき私は住職になって3〜4年目で、大学院にもまだ通っていた。よく授業や読書会など出られたものだと今になって思う。
山形・つくば・東京を行ったり来たりする生活にピリオドを打つべく、2003年9月にインド留学。長女はまだ1歳半である。2〜3ヶ月おきに帰国していたが、第一次反抗期を迎えた長女に手を焼きながら、妻は私を死んだものと思って仕事を続けたという。
完全帰国が2年後の2005年。そして翌2006年1月に長男が誕生する。そこからは住職兼主夫として山形とつくばを往復する生活に戻った。学籍を抜いたので大学には行かなくなったが、代わりに秋葉原にちょくちょく通ったので(笑)、行ったり来たりする生活にピリオドは打たれなかった。育児を分担するべく、長女を山形によく連れて帰ったので、新幹線は飽きたと長女はいう。
8年間にわたる往復生活が終わった直接の原因は、2009年4月の長女の入学である。かねてより妻も私も、子供はつくばでなく山形(長井)で育てたいと考えていた。つくばのお勉強熱に辟易していたというのもあるが、実際問題私がすぐいなくなるのでは、下校してくる長女を迎える人がいない。いわゆる「小1の壁」というものである。
長男も地元の保育園に通える年齢となっていた。しかし、環境ががらりと変わった上に母親まで離れ離れになるのはつらい。そう思っていた頃、2009年2月に次女が誕生(作ったというべきか)。妻は育児休業を兼ねて、山形に1年間滞在することになった。この点で上の2人(と私)は母親を山形に留めた次女に感謝しなければならない。
山形で家族一緒に過ごす1年間は夢のように瞬く間に過ぎた。遠方の友人が遊びに来たり、裏磐梯のペンションに泊まったり、妻はこの間に韓国や熊本まで出かけた。最初で最後のチャンスではないかと思われる。
そして今月から妻は平日につくばで仕事をし、土日に山形で過ごす生活が始まった。次女が小学校を卒業するくらいまであと10年は、今のような生活が続くだろう。
このように、昨年1年間を除いて、妻とはしょっちゅう離れ離れの生活でやってきた。結婚当初から予想されていたことなので、結婚式でよく聞かれる「明るい家庭」というフレーズは自分には空々しかったが、実際はそんなに悪くない。久しぶりに懐かしい友達に会うような新鮮さがあるからである。これからもそんな風にときめき続けられたら幸せである。