ムンバイ本照合は60/60で終了。17日で60ページとは予定よりいいペースだ。
インド哲学の文献は、討論形式で著作が作られていることが多い。「前主張」と呼ばれる対論者の主張を記し、それに対して反論を加えるというかたちである。さらに別の人が、その反論に対し再反論を加えるというふうに、1000年もかけて往復書簡のようなことをやっているのである。
その中でよく使われる論法に帰謬論法というのがある。「もしあなたの言う通りならば、こんな不都合が生じてしまう。だからあなたの言うことは正しくない」という。中には過度の一般化や、風が吹けば桶屋が儲かる的なこじつけもあるが、相手が新たに主張を限定すれば、今度は別の主張という反則を指摘できる。
さてここで、他説承認という反則がある。相手が望むことを認めてはいけないという論争のルールである。これを帰謬論法の途中で指摘するという手がある。
「もしあなたの言う通りならば……」
「ハイッ、認めたんならお前の負け!」
せっかちなインド人ならやりそうな気もするが、ズルくね?
帰謬論法は、「相手の意見を一旦認めてみる」という暫定的な定説という枠組みからなされる。「相手の意見を認めたら終わり」という他説承認は、これと矛盾する概念ではないだろうか。このネタ、使えそうだな。
さらにインド哲学でよくある反論法「周知なものの論証」は、他説承認に近いけれど別物であるという。これはどういうことか。どこが似ているのだろうか、考えてみたい。そもそも周知なものの論証は、何の誤りなのか、どのカテゴリーに入るのかもよく分かっていない。