ムンバイ本との照合は47/60.もう終わりが見えてきた。
改めて読んでみるといろいろ面白いことが書いてあることに気付く。留学中は意味を理解するのに必死で味わう余裕がなかった。
敗北の場合の説明により、インド中世のディベートでは、会衆が一定の役割を果たしている。対立する2人の論者の意見を聞いて、どちらが勝ちかを判定するのだが、騒然となったり凝視したりして発言者を戸惑わせることもあるし、不注意で聞き逃したり、物分りが悪かったり、誤解したりすることもある。でも全会一致か概ねか分からないが、一部の会衆が分からなくてもかまわないとされる。会衆が望むならば、余分な論証も行ってよいし、逆に望まないならばだらだら喋ってはいけない。会衆が議論の理解度の基準になる。審判も人間ということ。
相手の過失をきちんと指摘しないと、「去勢者のカップルのように」真実も勝敗も得られないとか、ドラヴィダ人とアーリア人が議論しているときにドラヴィダ人が現地語をしゃべったら負けとか。
ムンバイ本が終わったら手付かずだったマラヤラム写本を見るつもりだが、読めるかどうか。