「お釈迦さま、もし亡き親族縁者が餓鬼道に生まれていなかったら、いったいだれがその布施の功徳を享受するのでしょうか?」
「ほかにも親族縁者たちが餓鬼道に生まれています。かれらがそれを享受します。」
「しかしお釈迦さま、もし今生の両親や親族がだれも餓鬼界にいず、ほかの親族もだれ一人餓鬼界に生まれていないとしたら、その功徳はだれが受けるのでしょうか?」
「バラモンよ、餓鬼道に(過去世も含めた)親族がだれ一人もいないままということはありません。しかしバラモンよ、功徳廻向した施主もまた、果報をかならず受けるのです」
『増支部』ジャーヌッソーニ章、藤本晃『仏教の正しい先祖供養』より
今年のお盆の法事は『仏説盂蘭盆経』を再び読み始めた。先祖が苦しんでいるから供養せよという恫喝的な論調に辟易して読むのを止めていたが、その元ネタとなった『餓鬼事経』などパーリ仏典でお釈迦様の意図が分かってきたからである。
お経を読んだ後、以下のように補足している。このように説明すれば、自分の家の先祖が苦しんでいると誤解させずに、慈悲の心でお盆を送ってもらうことができると思う。
「このような話を聞くと、うちの先祖が餓鬼界に落ちているのではないかと心配する方がいらっしゃるかもしれませんが、その心配は無用です。というのも、亡くなった方は戒名を頂いた時点で、もう成仏しているからです。
ではどうして毎年お盆の先祖供養をしているのかといいますと、先祖はとてもたくさんいるからです。お経の中に「七世の父母」とう言葉がありましたが、親が2人、祖父母が4人、曽祖父母が8人……と7代前まで数えますと、実際には重なっていることもありますので延べ人数ですが、全部で250人ほどにも上ります。中には、母方の母方の母方など、どこの方か分からない先祖もたくさんいらっしゃるでしょう。全員成仏しているかといえば、心許なくなります。
そこで、このお盆は、250人の先祖が1人残らず成仏して頂きたい、そのような願いで行うわけです。1回供養すれば十分なのですが、次の年には、新しい親族や縁者が増え、そのたびにまた新しい先祖がつながってきます。そこでお盆は毎年行うのです。
皆さんはそれぞれ250人の先祖を背負って生きています。お盆はその全員に思いを向ける日にして頂ければと思います。」
お盆2日目は順調に終了、50件(うちは新盆と寺役員のみ)ほどの棚経も3割が終わり、明日と明後日で全て回ることができそうだ。