「もう死にたい」「この世から消えてしまいたい」……特に理由もないのに人生が苦しいと感じている人へ、仏教からどういう答えができるかを真剣に探る書。お坊さんの本というと、説教じみたものを想像して嫌がる方もいると思うが、そういった抹香臭さは微塵もない。
釈尊や道元禅師の教えを土台にしつつ、僧侶が陥りがちな仏教用語のマジックワードを排し、自分自身の言葉で語ろうとしている。それだけでなく、小さい頃から生きがたさを感じた結果に出家した筆者自身の悩みが共有されており、上から目線ではない。さらに、僧侶が避けて通りがちな現代の問題にも積極的に意見を述べている。
「オンリーワンはナンバーワンよりきつい」では、石ころでなく花、しかも花屋の店先に並んだものという選択を経ていること、またそれを特別だと認めてくれる人がいないと意味がないという。価値を認められたい自分が寂しく、また虚しい。無差別殺傷事件の犯人も、身の回りの悪いことを死者の祟りと考える人も、自殺を図る人も、このあたりの空虚さを起点にして考える。
この世に生まれてきてしまったのは、誰のせいでもないし自分の責任でもない。自分には生まれながらの価値などなく、この生という事実を引き受けようと覚悟を決めたときにはじめて、価値が生まれる。
信仰は神仏との取引ではないというのは至言。宗教家とは、悩める人の漠然とした「問い」を言葉で言い表せる「問題」に変えていくのが仕事であるという。
「信じる」ことは「賭け」だというが、それはギャンブル中毒の原因である「瞬間的な自己解除」を伴うのだろうか。筆者は何度も死ぬことを考えてきたのに、釈尊や道元を読んだ結果、生きるほうに賭けたというが、その決定には覚悟がある。これは、主体も責任も放棄することで快感を得られる「賭け」とは異なるのではないだろうか。
語り下ろした内容をまとめるという構成のため、内容が行ったり来たりしているが、心に響く言葉がたくさんあった。