上座部仏教の伝統を受け継ぐスリランカ僧が、大乗仏典である般若心経の問題点を挙げ、上座部の短い経典から空や無常の意味を説明する書。
般若心経の問題点は以下の通り。全部が間違っているわけではないが、お経に必要な理論・実践・向上への躾のいずれも欠けているという。
・観世音菩薩の修行内容を舎利子がチェックしているのに、観世音菩薩が舎利子に教えてあげていると解説されることがある
・色即是空は正しいが、空即是色は論理的に間違い(逆は真ならず)であるばかりでなく空を実体視している
・「無○○」は空というあり方とは異なる虚無主義
・無常なので不生不滅・不増不減ではない
・四諦十二因縁や悟りを否定すれば修行の階梯がなくなる
・無意味な呪文(ギャーテー……)は釈尊も否定している
一方、パーリ経典で「空」は特別な位置づけをされず、無常、苦、病、腫れ物、槍、災い、疾、他人のもの、壊れるもの、無我と同列で論じられる。真理を発見し我執を離れるプロセスで、このうちどれか1つの単語に反応すればよいと。
「無○○」は「○○が存在しない」という虚無主義ではなく、「○○に固執するな」という解説もあるが、それも否定される。苦しんでいる人に苦しみに固執するなといっても、その苦しみは現に経験されているのだから。まず苦しみをあるものとして正面から見つめ、それを乗り越える道を模索していくのがお経の役割であるという。
続いて説かれるパーリ経典では、上座部仏教が、こんなにも論理的で、しかも慈悲も持ち合わせていることに感心する。
日本仏教の要ということでつい絶対視しがちな般若心経を相対化し、釈尊に立ち返ることも意義あることだと思った。目から鱗落ちまくり。