本質を見失って形骸化している葬儀を、日本人の習俗文化という観点から捉えなおし、イメージに流されずに納得できる方法を探る書。
第一章では仏教伝来よりはるか前から日本人が 培ってきた葬祭の習俗と死生観を民俗学的見地から解説。この世での死=あの世での誕生から弔い上げまでを「子どもの養育(=供養)」と捉える。これを踏まえず表面的な手法(海洋散骨やホテルでのお別れ会など)を安易に取れば、後から行き詰ってしまうという。
第二、三章では仏式の葬儀を司る寺院が、機能不全に陥っている状況と、その打開策を提案。葬式仏教こそ寺院の本質的な役割であると考えて、寺院が専門家としてきちんと説明責任を果たすべきであると唱えている。
第四〜六章は戒名を自分で考えたり、葬儀と告別式を分けたり、自分が信頼できる僧侶を見つけたりしてよりよい逝き方を具体的に提案。住職や奥さんの檀家さんへの対応によっては、離檀の方法まで示している。
仏式に批判的な現代の葬儀解説書は多々あるが、その中であくまで仏式にこだわり、その中でよりよいかたちを模索しようとしている点でほかに類を見ない書である。
『「葬式仏教」という卑下した言葉を耳にしますが、これは決して仏教を揶揄しているのではなく、日本では死者供養は仏教で行い、その後の先祖供養は仏教の作法を借りた「習俗」で行っている、その姿を言い当てているといってよいと思います。』
『また告別式は、残された者が故人と決別し、それからの人生をどのように更新するかを探る場ともいえます。故人のことを思い浮かべ、追悼にふける時間をもちつつも、参加した人たちが、その逝去をどうとらえ、意識を変えていくか、そんなことも行いの目的として踏まえると、よい告別式が行えるのではないでしょうか。』
『お寺は死者供養、先祖供養に徹するという原点に立ち戻るべきです。お葬式で食べていることを恥と受け取るのではなく、お葬式で食べているからこそ、務めを立派に果たすのだととらえてほしいものです。供養寺としての誇りをもって、檀家と接してほしいと思います。』
終焉にまつわる習俗文化の取り戻し、筆者の視点はぶれず、バランスの取れた論考と提案として示唆に富んでいる。