『ブッダが考えたこと―これが最初の仏教だ』

宇井伯寿、玉城康四郎、平川彰、和辻哲郎……日本を代表する仏教学者をロゴスの剣でバサバサ切っていく怪著。
「ブッダは輪廻を否定した」「形而上学的な問題には不可知論をとった」「苦行を否定した」「自己を否定した」「十二因縁は後代の付加」「ブッダになった後の瞑想は人間の証」「無明は純粋論理的な概念」「悟りは神秘体験だった」など、仏教学者が採用してきた説に徹底的に異を唱える。あたかも仏教学の世界にセンセーションを起こして再考察を促そうとしているかのようだ。
ブッダは理詰めでこの世の因果関係を審らかにしたこと、そこに悟りがあるのであり、ブッダの独創性があることは、石飛道子氏も唱えるところである。二人とも「外道(非仏教のインド哲学)」から出発し、仏教を外から見ることによってこのような結論にたどり着いた。これらの批判に「仏教学者」はどう答えるのか、同じく外道を研究している私はとても知りたい。
ところでブッダの経験主義と論理は、相容れるのかどうかふと疑問に思った。ブッダの論理=因果関係は、あくまで経験論からもたらされたものだというが、経験を演繹しているわけではない。したがってブッダの結論が人類に普遍的であるかどうかが、その論理の正当性を左右する分かれ目になると思うのだが、どうだろうか。

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