シュリナガルはインドのほかの地域と比べて警戒が厳しい。
警察署や寮の近くは鉄条網、バリケード、金網、土嚢が張り巡らされており、防弾チョッキ、迷彩服姿で機関銃を持った兵士や警察が始終見張っている。土嚢の隙間から銃口を出されると、かなり恐い。長い銃を持った警官が街中で知り合いと抱き合っている姿も何となく異様だ。
タヒルさんのお父さんの話では、ここ3年は何も事件らしい事件は起こっていないのでこうした警戒態勢は緩められるべきだが、警察だけでなく国防省も関係しているため、上からの指示が末端に下りてくるのに時間がかかっているのだという。
今日の目的はカシミール・パンディットに会うこと。カシミール・パンディットとはこの地にサンスクリット文化をもたらした司祭階級で、現在もなお独自の文化と知識を伝えている。紛争が続いた時期にだいぶカシミールから脱出してしまったようだが、それでも結構残っている。パンディット(賢人)だからと言って皆があらゆる知識に精通しているわけではない。日本の僧侶が皆、仏教に精通しているわけではないのと同じである。中には文盲もいるという。
私が会いたいのは、サンスクリットの、しかも私が専門としている分野について知識がある人。そういう人がいるかどうか、近くに住んでいる高名な先生に会いに行くことになった。その先生はサンスクリットをあまり知らないようだが、カシミール・パンディットの社会では長老格であり、サンスクリットを専門にしている誰かを紹介してもらえるのではないかということだった。
ところが、この先生の家がある一帯は軍事施設があって、入り口が厳重に警戒されている。どの入り口にもバリケードがしてあって、アリ一匹通さないぐらいだ。土嚢やレンガで囲まれた小屋の中から、銃口がいつも出ている。ここの兵士が通してくれない。タヒルさんがあれこれ説得したが聞く耳すら持たなかった。扉に「インド軍、あなたのために」などと書いてあるのが虚しい。
結局、兵士に頼んで先生を門まで呼び出してもらい、先生の承認を得て入ることができた。タヒルさんが「見な、これがインド軍だ」といらついていた。ここまで苦労して入ったが、先生は子どもたちを相手に算数の授業中。忙しいのでまた明日といういつものパターン。このパターンは慣れているので、さほどがっかりしなくなった。
夜には結婚披露宴を見に行く。知り合いの結婚式ではないがタヒルさんが情報を探して案内してくれた。民家とは思えない大邸宅。さらに驚いたのは花婿披露宴と花嫁披露宴に分かれていること。私が案内された花婿披露宴は、客も男だけだった。花婿と花嫁は客が帰ってからやっと一緒になれる。そのとき、花婿が家を去ったふりをして花嫁を泣かせる儀式が行われるという。そのうちタヒルさんの結婚式があるだろうから、そのときにじっくり見てみたい。
晩御飯は毎日11時ごろ、終わると12時になってしまうが、朝も遅いからつらいことはない。オールドデリーの店の話は面白かった。
「ターンディーチョークでは買うな。買ってしまったら洗うな。洗ってしまったら(縮むが)泣くな。泣いてしまったら(恥ずかしいから)誰にも話すな。」
タヒルさんが初めてデリーに行った中学生ぐらいのとき、ここでお父さんにズボンを買った。3000ルピーのところ2000ルピーでよいと言われたが、ホテルに帰るまで開けるなと言われる。ホテルに帰ってみると、見本とは違う小さいサイズのズボンだった。仕方なく自分がはくことになったが、洗うとさらに縮んで弟しかはけないぐらいになってしまった。安物買いの銭失いということ。
ホームステイしていると、観光名所だけでない見聞を広められる。それが文化を知るということであり、人を知るということでもある。