シュリナガルは、想像を絶する素晴らしいところだった。
デリーから飛行機で1時間、雲を抜けるとインドらしくない風景が広がってくる。緑深い山々、湖、水を張った田んぼ。着陸したときには、小雨が降っていて肌寒いくらいだった。周囲は山に囲まれており、まるで日本、しかも東北地方に帰ってきたかのような錯覚を覚えた。連日40度を超えるカンカン照りのデリーから、避暑に訪れる人が多いのも納得できる。
とはいえさすが紛争の火種になってきたところだ。飛行機に乗る前は2重、3重のセキュリティチェックを受け、飛行機を降りてからも観光客登録をさせられた(観光客の安全のためという名目)。空港も軍事施設のように物々しい塀があり、たくさんの軍隊を見かけた。もっとも、警戒を甘くしてテロが起こる心配と比べれば、これくらいの方が安心できる。
空港を出るとたくさんの客引きが…って観光客登録のところにいた人が手引きをしていた。どこまでが公務でどこからがプライベートなのかわからない。「友達がいるので」と断っていたところにタヒルさん登場。「何だお前は」と観光客登録にいた人が公務の顔に戻る。ちょっともめた挙句、タヒルさんが自分の住所と電話番号を書いて決着。観光客登録の人は「ノー・プロブレム」などと言って帰っていく。
外国人がシュリナガルに来るときの障害はこの2つであると思う。つまりテロと客引きの不安。テロについては、近年本当に平和なので外務省は退避勧告を早く解除してほしい。ここが退避勧告地帯になるならば、アメリカ合衆国はとうの昔にしておくべきだろう。客引きも、警察が必要以上と思えるほど厳しく取り締まっているのでぼられる心配はあまりない。問題はむしろ観光客が押し寄せて泊まるところがないという点にある。今や1ヶ月に10万人が訪れ、しかも長期滞在が一般的なので、混むのがよく分かる。
タヒルさんはカシミール人。つくばで知り合ったバングラデッシュの留学生ジェニファーさんが紹介してくれた。タヒルさんとジェニファーさんはイスラム教徒つながりである。アメリカナイズされたキリスト教やヒンドゥー至上主義によるとイスラム教徒は全て悪者になってしまうが、その大部分は私たちと何ら変わらないごく普通の人たちである。偏見をもつのはたやすいが、取り除くのは容易ではない。
タヒルさんのお父さんは警察署長まで務めた人で、叔母さんも現在、警察の要職に付いている。タヒルさんとは何度もメールのやり取りをして、シュリナガルの安全状況を訊いてきたが、家族が地域を守っているから安全だというのには説得力があった。しかし、インドの警察の本当の力を思い知ったのはシュリナガルに着いてからである。
タヒルさんの車でちょっと走ると、湖が見えてきた。湖には大きな船が何艘も浮かんでいる。シュリナガル名物ハウスボートである。かつてイギリスがここを避暑地にしたとき、王様が土地を貸してくれなかったので湖に豪華な船を浮かべていたのが今につながる。美しい彫刻をあしらった船がずらりと並ぶさまは壮観である。湖岸からはシカラという小さな船に乗っていく。
このハウスボート、今が最盛期でみんな泊まりたがるためなかなか部屋が見つけられない。タヒルさんが湖岸に着いたとき、叔母さんが待っていた。叔母さんが、警察の力で空き部屋を探してくれたとのこと。本当のところは予約でいっぱいだったのを、何とか空けさせたというところだった。さすがインドの警察である。叔母さんに感謝を述べたら、「それには及ばない」と笑って職場に戻っていった。叔母さんの肩章は星3つで、ボディーガードがいつも2人付いている。こういうのを無敵というのだなあ。
その後叔母さんの部下がハウスボート行きのシカラを手配してくれ、夜に再び行ったときには警察官がじきじきに警察専用のシカラを運転して連れて行ってくれた。タヒルさんの車で案内してもらう途中についでに乗せた警察官はお父さんの元部下。いかつい銃を持っている3人組がタヒルさんと談笑している。こちらはびびり通し。
雨足が強くなって予定していた公園は見られず、タヒルさんの家に遊びに行って家族の皆さんと食べたりしゃべったり。娘の写真を見せたら家族みんなが集まってきて「人形みたい」と言われ、いい気になる。おやつのつもりが、ナッツ類、お菓子、グレープジュース、サフランティー、カシミールカバブ、チキンカレーと次から次へと美味しいものが出てくる。すっかりお腹いっぱいになって、ハウスボートに帰ってからは夕食がほとんど食べられなかった。