バリラーム先生について勉強する準備をするべく、不動産屋に連絡して近くの物件探し。今度は大学から遠くなるが、ジャー先生の今までのペースならばほぼ問題はない。不動産屋は小島さんの紹介で、何人かの日本人と成約している方である。今の部屋を紹介したドゥルゲーシュには黙っているが、持ち物件の数といい、車で物件を見て回る手厚さといい、格が違う。
物件を見終わった後で映画。4月に帰国した直後に公開されていた「僕がいるよ(メーン・フーン・ナ)」は、ずっと見たくていたのだが、気がつくと近くの映画館イー・スクエアでは終わっていた。そこで物件を見て回ったところから近い映画館アイノックスで見ることにした。ここももう1日1回しか上映していない。インドの人気No.1俳優、シャールク・カーンを起用している割には終わるのが50日前後と、早いのではないだろうか。
僕がいるよ(メーン・フーン・ナ)
〈あらすじ〉パキスタンとの宥和政策を進めるアマルジート将軍は、パキスタンに恨みをもつテロリスト、ラグヴァンの一味に狙われる。その警備にあたっていたシェーカルは将軍をかばい凶弾を受けて亡くなってしまう。同じく警備にあたっていたシェーカルの息子ラーム(シャールク・カーン)は、父の死の間際に自分が愛人の子であったことを知らされ、自分がいたために家を出てしまった母と弟を探しつつ、将軍の娘をテロリストから守る任務についた。
将軍の娘サンジュは大学に在学中で、ラームも学生に扮して紛れ込んだ。何と腹違いの弟ラクシュマンも同じ大学に通っていることが分かる。父親と自分を憎んで家を出た母と弟に正体を隠したまま、ラームはラクシュマンの家に住んで大学に通う。はじめは「おじさん」と呼んて仲間はずれにしていた学生たちも、次第にラームと仲良くなっていくのだった。
しかしテロリストの手は迫ってきていた。サンジュの友達の殺害とサンジュの誘拐はラームの活躍で防いだものの、ラグヴァンは先生に扮装して大学に入り込み、ラームの正体を明かしてしまう。そのためラームは大学を去ることになってしまった。その直後、テロリスト一味は大学を襲い学生たちを監禁する。知らせを受けて引き返すラーム。
ピンチを何度もしのぎながらテロリストをやっつけ、学生たちを解放することに成功した。最後は、ラグヴァンとの一騎打ち。肉弾戦で全く叶わず、もう殺されるというところでラームはラグヴァンの胸にあった手榴弾のピンを抜き、爆死させたのだった。弟ラクシュマンはヘリコプターで兄を助けに来て、ラームは無事生還。
かくしてパキスタンとの宥和政策は平和に進行し、ラームの家族は結束を固め、大学の卒業式ではラクシュマンだけでなくラームも呼ばれてめでたし。
〈感想〉40を過ぎたシャールク・カーンが学生に扮するというので、「コーイー・ミル・ガヤー」のようなのほほんとした学園コメディを想像していったが、のっけから銃撃戦が始まった。最後も壮絶な爆死シーン。私は人がばたばた死んでいくバイオレンス、ホラーものが嫌いである。不条理だし、落ち着かないし、残酷だ。おそらくこれが公開が長続きしなかった理由ではないだろうか。
このテロと軍隊の闘争が基調になっているので、そこにお色気を持ち込もうが、家族の絆を持ち込もうが、安心して見ていられない。「ほら、そんなところで見つめあっていないで! もうテロリストが来るというのに……」
将軍の娘とラームの弟がたまたま同じ大学にいたとか、テロリストの一味がこぞって娘の誘拐に携わるいう設定もどうかと思うが、それ以上にテロリストが主人公だけ特別扱いするのが解せない。他の人はあっさり頭を撃って終わりなのに、主人公のときだけ「3,2,1」とかカウントダウンしてくれたりする。命の重さが違うとでもいうのだろうか。こういうのはハリウッド映画の影響なのだろうか。
というわけでネガティブな感想になってしまったが、テロはインド映画で今一番ホットなテーマだと言える。先日はアーメダバードで4人のテロリストが射殺されたとのこと。現実がそうなのだから仕方がないが、私はもっと夢のある映画を見たい。今度は恋愛映画「ハム・トゥム」でも見にいこう。→公式ページ