クシナガルの宿はこれまでよりも3倍ほど宿代が高く,その分快適だった.モーニングコールは頼んでもいないのに朝食に合わせて起こしに来てくれる.例によって5:30朝食,6:00出発.
ひとたびは 涅槃の雲に 入りぬとも
月はまどかに 世を照らすなり
クシナガルはお釈迦様がお亡くなりになられた土地だ.旅の途中で揚げ物に当たって動けなくなり,そのまま息を引き取った.御年80歳.沙羅双樹の下でお亡くなりになられたということでここには大きい沙羅の木がお寺の前に2本植えてある.これまた『平家物語』のモチーフとして名高い.
涅槃というのは迷いの森から脱出するという意味で,一般にはお釈迦様が亡くなることを意味するが,悟りを開いたことも涅槃というので,前者は無余涅槃(むよねはん)または般涅槃(はつねはん),後者を有余涅槃(うよねはん)ともいう.ここはお釈迦様の体がこの世からなくなった訳で,無余涅槃.お釈迦様の最後を描いた『涅槃経』は,数あるお経の中でも真に迫っていて心打たれるお経だ.私は「汝ら,(私が亡くなることについて)悲悩を抱くことなかれ」というくだりは,いつ読んでも悲しくなってしまう.
寺院の中にはとても大きい金色の仏像が横たわっている.早朝でインド人のお坊さんたちが集まってお経を読んでいた.その側でお拝をして右回りに参拝する.お釈迦様が亡くなるとき,たくさんの弟子たちや神様,動物が集まってきて嘆いている涅槃図は子供の頃から寺で見ているが,その嘆きがここにはまだ空気として残っているようであった.
そのお祈りの中に上半身裸の男が混じっていた.お寺の外に出て参拝していると,その男がガードマンに囲まれている.棒でべしべし叩かれて追い出されていた.何があったか聞いてみると,その男が参拝してから急にナイフを持って外で暴れていたらしい.ガードマンが1人手の指に怪我をしていた.タイミングが悪ければ我々が襲われていたかもしれない.お釈迦様のご加護というべきか,ガードマンにはお見舞いに10ルピーを出した.
お寺の前にある沙羅樹は葉が何枚か落ちていた.ここに男がひとりいて,落ちている葉っぱを5枚ぐらい目の前で拾い集め,「50ルピー」とか言ってくる.ここまで図々しいと呆れておかしくなってしまった.葉っぱは自分で拾った.
帰るとき,涅槃像のレプリカを売りつけられた.「10ドル!」という.無視していると「5ドル!」「1ドル!」「30ルピー!」とどんどん値下がりしていく.その値段ならと2つで30ルピーを提示したら,あっさり了解.お金を支払うと売り子は嬉しそうに,お金を涅槃像に捧げて頭を下げていた.こういう姿には好感が持てる.そのとたん,3,4人の売り子が群がってきた.しかも彼らは皆同じ涅槃像を持っている.結局お土産にいくつか買おうと思ったので同じ売り子からさらに5体30ルピーで購入.最初は10ドル(1200円)だったのが最後は6ルピー(15円).一体原価はいくらなんだろうと訝しくなった.
ここでウッタルプラデーシュ州を後にして,その東のビハール州へ.道中の休憩ではつくばの妻に電話.こんな田舎から日本につながっていると思うと楽しくなる.「ホテル」という看板のほったて小屋があって,裏にある建物がホテルかと思ったが確かめてみるとそれは民家で,ホテルは結局そのほったて小屋だったり.
国道を進むと,途中から左車線にトラックが約10キロに渡って停車していた.一体何台あっただろうか.小さい車は右車線ですれ違いながら行き来している.途中からすれ違うこともできなくなっていく.そこでトラックの運転手に聞いてみると,事故で先のほうが不通になっているとのこと.しかもその事故は2日前だという.つまりここで待っているトラックは,約2日前からここにいることになる.トラックの荷台では体を洗っている姿や,食べ物を売る売り子の姿も見られた.一体この先何日待つのやら,気の長い話である.
とはいえ我々はそんなに待つわけにはいかない.幸い小さい車なら通れる迂回路があり,ビハールの田舎に進入していく.そこはこれまでと比べ物にならないような貧しい村々であった.ビハール州は湿地が多くて耕作がよくできず,ウッタルプラデーシュ州よりも貧しい.道のすぐ側は沼か湖,湿地のびちゃびちゃしたところに家が建っている.傾いて沼に落ちそうになっている家もある.舗装はかなり剥がれていて,でこぼこが激しくなっており,むしろこれなら舗装をしないほうがよいのではないかと思うくらい.車が池に落ちやしないかとはらはらした.ときどき,人が限界まで搭乗したジープ(この地方のバス)とすれ違ったが,日本では5人乗りくらいのところに,屋根の上も含めて15人くらい乗っていた.
しかしこの細道が結局近道となってヴァイシャリまで4時間で到着.ヴァイシャリはかつて繁栄した大都市で仏陀も訪れたところだが,今はアショーカ王柱が唯一完全な形で残っている場所として知られる.入場料2ルピーの博物館があるが,展示物がことごとく小さい上に,電圧が低くて照明がよくなかった.アショーカ王柱のあるところは猿の王様がお釈迦様に蜂蜜を捧げたという微妙な話が残っているだけで,仏蹟の中では影が薄いほうかもしれない.ジャイナ教の開祖,マハーヴィーラの生誕地でもあり,生誕地の整備事業は着々と進行していた.
ヴァイシャリの博物館の近くにあるレストランはディワーリーで閉まっており,小屋の食堂で軽い昼食.先客が大量にサモサ(※揚げカレーパン)を買っていったので食べるものは少しだけ.そして出てきた水は濁っていた.牛が体を洗っている裏の沼で汲んできたのではないかと思われる.当然ながら飲むのは遠慮した.
雨も降っていてやや期待はずれのヴァイシャリからパトナーまでは2時間.広大なガンジス河を渡るとすぐそこだ.この都市もかつてはパータリプトラと呼ばれアショーカ王が統治した紀元前3世紀ごろは仏教都市だったが今はその面影もない.ホテルは今回最高級のホテル・マウリヤ.楽しかった旅も明日で終わりだ.