チェコ共和国の弦楽四重奏団「コチアン・カルテット」の演奏会を地元で開くことになり,主催者兼司会として仕事をした.もともとは吹奏楽団の活動費を捻出するための方策だったが,世の中はそんなに甘くなく,会計の話ではおそらく赤字になったようだということである.それでも私自身の満足度,お客さんの喜んだ顔からすれば全く後悔のない演奏会となった.
赤湯駅で奏者の方々をお迎え.同行のピアニスト白澤さんはシュトットガルトで勉強していたことがあり,奏者とドイツ語で話していた.話していると4人は仲間内ではチェコ語を話しているが,対外的には英語で用を足し,そのうち2人はドイツ語も堪能だった.つまり2人にはドイツ語で話し,残りの2人には英語で話すことになった.さらに白澤さんは日本語,地元のスタッフは山形弁で話すので,英・独・日・山のテトラリンガル(四重言語)になる.今までに経験したことのない状況に,頭が容量オーバー気味.「Er
has …」など言葉も互いに交じり合う.何を言っているのか自分でもわからなくなり最も得意とするはずの山形弁にまで障害が出てくる始末.
奏者の具合が悪くなり急に病院を探したり,イスが低くて急遽ピアノ用イスをあちこちから調達したり,カーテンコールがまだあるのに司会アナウンスを入れたり,もう1曲アンコールがあったのに演奏会を終了してしまったりするなどハプニングはたくさんあったものの,完成度の高い演奏のおかげで演奏会は大成功に終わった.プログラムはドヴォルジャークの「糸杉」という歌曲アレンジもの,モーツァルトのピアノ四重奏曲,メインが「アメリカ」だった.ドヴォルジャークは「これがお国芸だ!」と言わんばかりの演奏.テンポのゆらし方が自由自在でロマンティックに歌い上げる.ソロがメロディーを引っ張ってもアインザッツが乱れない.特に「アメリカ」の3楽章のチェロの情緒たっぷりのソロは感激ものだった.モーツァルトもその調子で遊び心のある好演.ピアノがえらく情熱的だったのが印象に残った.こういう情緒のある演奏はクラシックに縁遠い山形人にも十分迫るものがあったようで,大拍手となった.
演奏会終了後のレセプションも楽しいものとなった.「やっぱり演奏会の後はビールだよね」「こういう小さい町は好きだなあ」などとご機嫌の奏者の方々とおしゃべりをして過ごす.「日本の仏教徒は肉も食べるし酒も飲みます」という話をしたら,「仏教は哲学だと思う.だからモラルとは切り離していいはずだ」などと言われた.また盛んにプラハを宣伝しており,プラハでの連絡先まで教えてもらった.「いつ頃来られる?」なんて気の早い質問もあったが,いつかは行ってみたいものである.その他サイン入りプラハ写真集を頂いたりして,2時間という短い時間だったが刺激的な発想に触発される有意義なひとときだった.
こういう貴重な経験はたとえ大金を出したとしてもなかなかできない.ひとつのコンサートは2時間ぐらいのものだが,その陰には奏者の手配から始まり,交渉やらプログラム作成やら,その他こまやかな気配りがたくさんあってやっと成功といえるものに結実する.演奏会の準備に携わったスタッフに心から感謝したい.