●起源
お地蔵様はインド名をボーディサットヴァ・クシティガルバ(bodhisattva-kshitigarbha)といい、古くはインドの農耕女神(大地(kshiiti)を母体(garbha)とする菩薩(bodhisattva))でありました。これが仏典では、お釈迦様の入滅から、五十六億七千万年後に弥勒菩薩が成道するまでの間、衆生を苦しみから救うようお釈迦様から付託された菩薩として現れるようになり、中国では亡き父母を救う菩薩として、さらに日本では苦しみにあえぐ子供たちを救う菩薩として信仰されるようになりました。子育て地蔵、咳止め地蔵、雪ばらい地蔵など、子供と深く関わるお地蔵様の姿はおなじみです。
お地蔵様は亡くなった親、亡くなった幼子たちの御魂を守り、罪深い亡者を救い、また不安の現実に迷いながら生きている衆生の苦しみを変わって受けて下さる菩薩様なのです。
●御姿
お地蔵様はふつう比丘(出家者)の姿をしておられます。左手には宝珠をもっておりますが、これは仏典や経典の功徳によって病苦などの禍を取り除き、自在に福を招き寄せて、衆生の心願を満足させるという意味があります。また右手には錫杖をもっておりますが、これは修行僧が山野を遊行するときに携行し、振り鳴らす音によって小さな虫や蛇などあらゆる動物たちを逃がし、あるいは殺さないための道具です。
●縁日
お地蔵様の縁日は毎月二十四日。青森・恐山や東京巣鴨・とげぬき地蔵でお祭りが催されています。
●赤地蔵堂
長井市草岡にある赤地蔵堂は文化四(一八〇七)年に建立されました。洞松寺十六世文明恵紋大和尚(安永三(一七七四)~文政三(一八二〇)年)によるもので、当時亡くなった多くの子供を供養するために建立したものと考えられます。文明恵紋大和尚の石碑は地蔵堂側、青巒木水居士・勘三郎の碑と並んで静かにたたずんでおります。
赤地蔵というのは朱塗りのお堂からその名がつけられました。お堂の内面の柱は黒漆塗り、金箔で、合天井に一枚一枚極彩色の絵が描かれており、また土突の砂利石の一粒一粒に経文が書かれておりました。長い年月といく度かの修理によって往時の面影をうしないつつありますが、立派なお堂です。
かつては「ねずみ除け地蔵」として親しまれ、土葬の時代には、草岡地区の葬儀引導場として使用されています。
参考文献:椎名与左衛門「草岡赤地蔵堂今昔記」 (西根史談会『西根の歴史と伝承』第一集八十頁)