恩師の上村勝彦先生(現東大教授)が突如としてお亡くなりになった。58歳。
かつて印度哲学の学者は長生きだと言われてきた。同窓会では長寿祝の年齢を上げないと祝いきれないくらいだったが、その下の世代で急に亡くなられる方がこのところ多いような気がする。中観思想の江島恵教先生、初期仏教の阿部慈園先生。そこに高齢の先生方も亡くなるから、ここ数年葬式ラッシュになっている。
上村先生には、大学1年生からサンスクリット語の手ほどきをしていただいた。授業が終わると毎回のように、近くの居酒屋でおごってもらった。「近頃の大学生は何を読んでいるんですか?」…上村先生は説教を垂れるタイプではなく、むしろ学生から話をいろいろ聞きたがる。こちらも若いから得意になってつい余計なことを喋っていた。「そうなんですか」と笑顔で聞いてくださる先生が、インド学の大家であるとわかるのはもう少し後の話である。
大学院の授業では、「大学者ほど間違いも多いものだが、それによって研究が無価値になることはない」というのと「日本人はヨーロッパのインド学に目が行きがちだが、もっとインドを見ないといけない」というのが先生の持論だった。海外の翻訳の間違いを見つけたり、インドの留学話をしたりするたびに結論はこれになる。かといって力を入れて強調する素振りもない。実にそっけなく言うだけだが、それがかえって心に残るものだった。
先生は岩波文庫「バガヴァッド・ギーター」「カウティリヤ実利論」や、近年は「マハーバーラタ」全訳というとてつもない量の翻訳に携わっていた。葬儀の中の弔辞で「専門を深く極めるのも大事だが、翻訳を出版して世の中に広めることも学者の任務」ということを先生が仰っていたそうだ。確かに日本で出版されているインド文学や哲学の翻訳は数えるほどしかない。「狭く深く」だけをよしとせず、世間にも目を配る余裕はなかなか持ちにくいものだ。
最後に奥様が先生が最後に観音様をすがり、安らかな死に顔であったことを述べた。学者一辺倒のイメージが強かった先生だが、授業や居酒屋では見られなかった僧侶としての一面を、しかも内面にしまいこまれた信仰として知った。学者と僧侶は、実は別異ではない。しかし安易に結びつけなかった先生の生き方は、心から尊敬する。
ご冥福をお祈りするとともに、後を行くものとして先生の遺志を継いでいけるよう精進したい。