『なぜ仏教で人は救われるのか―超現代仏教論』

如来蔵思想研究で知られる仏教学者・高崎直道氏と、仏教を分かりやすく説くことにかけてはピカイチの仏教思想家・ひろさちや氏の対談集。
実はひろ氏が東大印哲の修士課程に入ったとき、高崎氏が助手だったというときからの交友で、本書もひろ氏が仏教学の定説や枠組みから自由に自説や展開し、それに高崎氏が仏教学の立場から真偽をコメントするというスタイルをとっている。
もっとも、ひろ氏の知識も高崎氏が及ばないくらい広範で、初期仏典のエピソードや西洋哲学との比較は非常に面白い。
全体的な流れはこうである。現代の日本仏教は葬祭を中心に展開しているが、その理論的な裏づけがない。そこで輪廻(場所・時間・原因)をどう捉えるかが重要になる。続いて輪廻からの解脱=成仏はどのようにしてなされるかを考え、最後に輪廻と解脱を分ける善悪に踏み込む。
解脱(成仏)した者はこの世間にい続けるのか、その外側に出ていくのか。無明とは知識の無なのか何かエネルギーのようなものなのか。本書で答えは示されていないが、仏教を哲学的に考えてみたい人にとってはヒントがたくさん詰まっている。
天台本覚論や批判仏教に対する2人の考えもほかでは読めないだろう。世間がいくら批判しようが、縁起の理法に従い「あなたはそのまんまでいいのだよ」と言えるという。ただし悪しき業論は出世間の教えを世間に過大適用している時点で否定される。批判仏教は、信と法の優先順位が問題だという。
2人の対談を読んで思うことは、哲学的な理論付けをするためには、答えを出すのに難しい難問が多数立ちはだかっているということだ。答えの出ない問いを問い続けるのは大切だが、それだけでは現代日本仏教がよって立つ根拠として説得力がない。本書はひとつの哲学・思想としては知的刺激に富んでいるが、仏教を宗教と捉えるとき、もっと別の面からも考える必要があると感じた。

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