危険と叫ばれた住基ネット、実は意義があったというゆとり教育、環境によいという脱ダム、少子化対策になるという男女共同参画……学識者が先導し、それにマスコミが乗って喧伝された数多くの社会問題は、その是非が検証されないままになっている。なぜ学者は平気でウソをつくのか、社会に悪影響を及ぼした責任を取らないのかを考察する書。
この考察のため、まず科学=過去の事例を分析し、未来の予測を立てる学問の方法論から説き起こし、その不完全さを悪用して利益誘導する学歴エリート=学者、マスコミ、官僚、経営者を糾弾する。そしてウソを見破るために目的のすり替えを正し、一般が納得できる価値を守るため、言論責任保証・先見力検定という具体的な試みを示す。
誰も反対できない理想を掲げ、その理想に自分の利益を強引に結びつけて正当化するのが学歴エリートの常套手段。目的と手段は別々のはずなのに、手段(学者の利)を否定すると目的(理想)まで否定するように仕向けるのは詭弁であるという。
筆者もまた学歴エリートであるが、自戒の念をこめてまとめたと書いているところに好感がもてた。ただ性悪説を意識せざるを得ない言論責任保証がどこまで普及するかは疑問が残る。
専業主婦が優遇されているという主張があるが、実際共働きの夫婦は二重に基礎控除を受けており、さらに子どもの保育サービスも受けられる。現行の税・社会保障制度で一番得をするのは、夫婦とも中・高収入を得ているエリートカップルの世帯だというのは同感。
また筆者は、大学・大学院で自分が合格することで他の人がそこで学ぶチャンスを奪ったのだから、その分きっちり勉強し、その成果を社会に還元する責務を負うと述べ、ところが今の学歴エリートは競争を勝ち抜いてきたことで既得権益が得られたと思っているのが倫理の欠如につながると指摘する。全くその通りだと思う。
ちなみに社会科学以外の文系学問、つまり人文学は科学ではなく、学説の正当性の評価が難しいという弱点をもつという理由から考察の対象から外されている。哲学には真実もウソもないのかな?
フェミニズムや左翼・右翼などナイーブなところまで切り込み、具体例を交えながら主張していて分かりやすく過激なほどに刺激的な論考であった。