お葬式のやり方

僧侶の現職研修会「在家葬法の原点」に参加し、お葬式の方法をおさらいしてきた。
「ならばあえて開き直って「葬式仏教」大いに結構。研鑽に研鑽を重ねて、一部の隙も無き諸荘厳の中、素人には真似し得ぬ揺るぎなき自身と威風を持っての一挙手一投足なれば、自ずと行事見成して無言の中に法輪を転ずる事に成るのではあるまいか。」(講義資料より)
曹洞宗は禅宗だから坐禅だけしているというわけではない。密教的な要素を含みつつ、他宗派よりいち早く在家葬を取り入れ、全国展開を成し遂げた。その方法は地域差があるものの、細部にわたって厳格に定められている。それは、曹洞宗の宗旨が「威儀即仏法、作法是宗旨」という、かたちがそのまま本質なのだということに由来するものであろう。かたちから入り、かたちに終わる。
今日は実習ということで、実際にお葬式をいつもやっている通りに実演して、講師の先生が「ここが間違っている」と指摘するものだった。受戒は坐して授ける、剃刀は額と両側に当てる、戒律ごとに戒尺を打つ、洒水は実際に水を位牌につけて施与する、十仏名は一句一句切る、引導法語ではコツの紐を右手から離さない、たいまつをもったらお棺を拶眼、払子は基本3回、脇導師は一字関を言わない、法語は全開にして読む、一字関の直前で払子を振るなど、微に入り細を穿つ指摘。いい加減にしていることもあったのでとても勉強になった。
私はたいまつの右左点(4〜6周目)が反時計回りではなく時計回りになっていたこと、洒水で「滅除煩悩炎」と唱えていたことが間違っていた(灌頂洒水は弟子に仏血を与えるためのもので、煩悩の消火水ではないとのこと)。次回から修正したい。
洒水ではランバン加持というのがあって、龍相(三本指)で洒水枝をもち器の中の水を真言を唱えながら攪拌する。すると、普通の水が甘露の法乳水になるという。これってインド神話の乳海攪拌の話そのもの。こんなところに息づいているんだと妙に感心した。

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