取られる

平日にしては珍しいが午前中に2件法事。定年退職した団塊世代、土日仕事のサービス業が増えると平日のパターンがもっと出てくるだろう。
帰宅すると明日の葬儀の遣いがいらっしゃってちょっと話し込む。お布施の額を聞くのが主目的だったらしいが「だいたいのところは役員さんに伝えてありますのでそちらから聞いて参考にして下さい。」その後、役員さんから電話がかかってきた(笑)。
こんな回りくどいことをするのは、当事者にはっきり額を言うと「取られた」感が強まるからだが、役員経由でも別の強制力が生まれる恐れはある。だから当事者にはしつこく、「額は参考程度で状況によって変わっても全く問題ありません」と言い添えているのだが、十中八九はピタリその額である。
最近こんな話を聞いた。近くのお寺に東京から「お金がないんですけど、お葬式をして下さるでしょうか」という人があった。当然断るはずもない。すると、「それで、おいくらぐらいで……」と聞かれたそうだ。齢八十になろうとするその和尚、「金ないって言うんだったらいくらも何もないべ?」と受け取らなかったらしい。
「対価ではない」というお布施の意味を理解するには、これくらい極端なことが必要なのかもしれない。このところときどきこの話を思い出している。

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