やまがた緑塾第2回「男らしさとジェンダー」(講師:坂本 静香さん)をZOOM聴講。マイクをミュートにしてなくて、途中でかかってきた電話の声がばっちり録音されていたが(汗)、自分の考える男らしさを見直すことができた。
「男性稼ぎ主モデル」が崩れ、夫婦共働きや単身世帯が普通になると、家事もせずいばっているような昭和男性モデルも崩れ、現実とのギャップに生きづらさを抱えている男性が増えている。これまで背負ってきた労働責任や権威を女性と分け合うことを新しい常識とすることで、男性はもっと人間関係を深め、自分の健康をケアでき、生きやすい世の中になるという内容。我が家はすでにそうなっているような。
とはいえ男性には間違える権利、わからないといえる権利、傷ついていい権利があるという(グレイソン・ペリー)のに少し肩が軽くなったような気がしたのは、私の中にも無意識な「男らしさ」の呪縛があるということかもしれない。「『人間として望ましい』と思われることはほとんど、『男らしさ』と重ね合わせることができる」という指摘にグサリ。箱根駅伝で駒沢大の監督が「男だろ!」と檄を飛ばしたのが批判されたが、そこは何と言えばよかったのだろうか。
「特権を持つマジョリティーは、特権があることで社会を変えやすい立場にある」という指摘も印象に残りました。女性差別、性的少数者差別、弱者男性差別に対して沈黙するのは差別に加担しているのと同じ。空気を読まない面倒くさいヤツと思われても、年上でもおかしなこと(最近の若者は……とか)を言っていたらすかさずツッコみ、会議などで違和感を感じたこと(この会議はどうして女性が少ないんですか?とか)は発言していきたい。