物分りが良いは危ない

神社寺院関係の新聞「中外日報」に年男で寄稿。車を運転中に思いついた「物分りが良いは危ない」について書いた。

車に追い越された時、私や妻は「おしっこがもれそうなんだね」などと「物分りの良い」ことを言う。これくらいならまだ他愛もないのですが、先日は入試願書のハンコがちょっとだけずれているといって中学校から押し直しに来るよう求められた時、「中学校の先生は閉鎖的で世間知らずだからしょうがない」なんて「物分りの良い」ことを思ってしまって、これは偏見だなと反省(こちらにとってはどうでもよいことなのと、面倒くさい親だと思われたくないので抗議せず)。

男女共同参画やダイバーシティで求められるのは、物分りの良さではなくて根気強さ。多様な価値観や意見は、自分がよく理解できなくても面倒臭がらずに向き合うということが必要である。

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