門人、東涛軒が城北の闌若より眺望の記を見るに、そこの風景、一つも残らず書きたり。観山子、詩格の点を加えられしは、新奇にして俳かいの、めずらしみならんか。
赤壁に後の賦あるに似たれど、予も感慨に過ぎず。句をもって後序とす。
寒漬けや蕎麦目覚しく歯にこたえ
寛延二年 セキ令斎主人
文政十二年八月十九日の記
卯の半遍照寺を発し、野川を渡る。曰く成田、曰く川原沢。草岡の洞松寺に憩う。寺は絶壁に架し、エン望に宜し。この日、朝霧四塞し、煙樹微茫として弁別すべからず。唯、青帝天をささえ、飯豊を抜くあるのみ。自余の群山は培ろうの如く、地瘤の如く、あるいは伏虎の如く、あるいは馬牛の渓に飲むが如し。人をして村落、寺社を指示せしむるに的中するものなし。その眼光、煙靄を破り、一木一祠も誤る無きは、長谷川茂助なり。衆、その明に伏す。住僧茶を点ず。また厨菓を左右の隊士に賜う。