洞松寺の記1
今年、宮村に遊び、水無月の6日、そこの文和、梅川2に誘引れて、草岡村洞松寺に納涼す。快隆亭3を出て、行程一里ばかり、野川を渡り、畔路を分けて、漸く午の下刻4に至り、案内を乞ふ。折ふし方丈5は旦徒に出られしとて、典主座6、子小姓客も二人あり。この境内を見るに、もっとも聞きしよりは佳景なり。
しばらくして、和尚帰り給ひ、各々拝謁す。やがて盃を呼び、饗応浅からず。さらに年を忘れて旧のごとし。
時に二子7、涼の句あり。
予にも興を添えよとせかれ、おろかなることを恥じざるは、酔中の一癖なれば、罪は井蛙8の一声と身許し給えや9。
先の二客は、成田村10の知友、佐々木氏11、ひとりは我が従弟、勧進代村12の菅原氏なりければ、互に四十年余の昔語りもむつまじ。
それ、三峯山洞松寺は瑞龍院13の五派、盛興院14末寺にて、開山より十三世の古跡也。岡に登ること百歩に余り、殿堂造立新になりて、三とせばかりか15。杉櫟の肌、清らかに、木の香も残りてゆかしく、工匠手を砕き、指図、心を尽して、東に向う本尊の大覚教主16は、円相のうちより、満得愛愍のひとみを垂れ給ひ、法界壇17の霊位は、常ならぬ世のことわり18を催して、そぞろに、かなしみいだく。涼風に幡幢飄揺19し、薫香四方に芬郁す。眺望群れをはなれ、佳景神を得たり。
北条郷の山、襟を重ね、松柏春秋を茂り、換骨羽化の便り20おのづから貴く、八幡岱21忽々として結縁の露を含む22。麓の松川、滄々として済度の塵をえらまず23。安松の銀山、繁華のいにしえ、色残り続けるは、浅立、広野24。山遠く目立てるは、小滝25の福一満の獄26、さながら最上27の空を隔つ。顧みれば、伊佐沢山28はるかに、雲を分けたるは、蔵王が岳、なお和田山も見捨てがたし。天にそばだてるは吾妻山、青黛さらにあらはれたり。寺泉山の峯つづき、平山村の愛宕奇々として、太郎坊もここに下屋敷通いしならむ29。月の夜、雪のあけぼの、都にもなどけおされぬべき30。
長根山、陣の峯、眼下に横はりて、臥龍先生31の住みけんところも、いかにぞや。なほ思ひよらざりしは、白旗の松原32こそ、それと僅かに、いとどたへなりけり。それが中にも、惣宮大明神の大森は、この寺の什物33とせん所なり。
晴れて三保、橋立も34、まざまざしく、雨ふれば、巫山、湘江35をも思いやり、花に対し暑さを忘れ、かつて、造化の功、幾年をか経にけん。ついには鸞鳳も巣を求め、天津乙女も衣干すらん36。青田打ちつづきては、さながら湖水のさざ波、渺々と鶴鷺の飛びかはすは、ここに堅田37やうつしけむ。
一村一村住みなして、まれまれに軒端のほのかに、折ふしの煙の横折れたるは、あまの汐くむ屋38も何ならず。こみちこみちの幾筋も行方覚束なく別れしは、「物ならなくに」と羈旅39の余情も思い出でられ、後ろは、三峯山軒を覆ひ、北に用水潜まりて、わづかにとくとくの音絶えず。炎天にも、大会にも寺中渇する時なく、庫裡の水盤に湛えて、いといさぎよし。
四季の通ひ程よくはなれて、烏瑟沙摩明王40の昼夜を守り給ふぞ、すずしげなり。庭前の立石、臥石、物奇に、松の作り木枝をすかしてめでたく、千種のあしらひ見所ありて撫子、夏菊咲き乱れし中に、黎芦草生ひまじりたる。有るにまかせておかし。簀垣41のからす瓜、つたよりもまたおかし。樹木の太からで、致景にさはらず、若竹のすなほなるに蝉とまりて、声々に暑さを告ぐるも、にくからず。何か一つ心のとどまらずといふことなし。誠に、誰か老のまさに至らんとすることを思ふべきぞ。
床には、月舟の「無」の一字を掛けて、是なむ宗門の粉骨42とかや。それはむづかし。
この楽しみこそと、おのおの盃をとめず、毛石43をその間にはさむことしかり。
風薫る窓はありけり無一物 雨十
見晴しを宗と涼しき指図哉 梅川
禁盃の門44をくぐりて涼みかな 文和
寛延二年林鐘日45 東濤軒 雨十稿
1 江戸時代に米沢から洞松寺に来た俳人雨十の記した紀行文。さながら奥の細道を思わせるような教養にあふれた内容である。
2 俳人名。
3 旅館名。
4 午後一時頃。
5 住職の尊敬語。和尚と同義。
6 炊事係。当時僧侶は妻帯しなかったため、このような係が付近から出た。
7 文和と梅川の2名を指す。
8 井の中の蛙。すなわち浅学のこと。
9 この時点で3名は後出する句を読んだ。
10 草岡村の東隣。寺から東に3kmほどに位置する。
11 宇右衛門。俳号は宇考。
12 草岡村の北隣。寺からはさほど遠くない。
13 現在の白鷹町高玉にある曹洞宗の大きな寺院。洞松寺からは勧進代村を越えて北に4kmほど行ったところにある。
14 現在の南陽市赤湯上野にある洞松寺の親寺。同名の寺が米沢にもある。
15 延享3年に再建されてからの計算である。
16 大恩教主本師釈迦牟尼仏を指す。
17 位牌壇のこと。檀信徒の位牌などを安置する。
18 平家物語にも現れる仏教のきまり文句。
19 旗が揺れ動くこと。何の旗かは不明。
20 中国の仙人が達した仙境を表わす。
21 山名。
22 仏縁があるのではないかと思わせるような貴いたたずまいであるということ。
23 衆生の救済のためならば汚れを気にしないということ。
24 ともに地名。現在は白鷹町に位置する。
25 地名。現在は白鷹町。
26 虚空蔵菩薩をまつる白鷹山を指す。
27 最上地方。すなわち山形方面。草岡村からはゆうに50km以上ある。
28 洞松寺は置賜盆地の西側の山沿いに位置し、これと反対側の東側の山を指す。西山から東山までは8kmほど。
29 これらの山々は付近の名勝であるが、直接は見ることができない。位置的に列挙しているようである。
30 おそらく枕草子を意識しているのだろう。
31 諸葛孔明のこと。
32 現在の米沢市松原。
33 寺の所有物品。
34 三保の松原、天の橋立。ともに全国的に有名な景勝地である。
35 四川省の巫山、湖南省の湘江。ともに中国で有名な景勝地である。
36 鸞鳳は天の鳥、天津乙女は天女。天界とも交流ができるほど神さんでいるということ。
37 近江八景の一つ。
38 海岸沿いの塩焼き小屋。煙の風景では情趣あるものの代表である。
39 伊勢物語を典拠としているか?
40 不浄物除けに便所に祭られる仏法守護神。
41 竹でできた、簀の垣根。
42 曹洞宗の教義の真精神。曹洞宗では不立文字を打ち立てる傍ら、只管打坐や修証一如などの教義も打ち出していた。
43 筆と硯をとって俳句作りを行ったということ。
44 山門の右手前にある「禁葷酒」と刻んだ石碑で、ニンニクなどの臭いものや酒を持ち込むことを禁ずる。寺院にはつきものである。
45 1746年6月