曹洞宗三峯山洞松寺

応仁年間の頃、瑞竜院五哲の一人月窓正印和尚(文明10年9月29日寂)の開山で、御本尊は釈迦牟尼仏、本寺は南陽市盛興院で同じく月窓正印和尚の開山せる寺院である。現在の住職・小野卓也は三十三世である。

応仁の頃、草岡仁府の光森(みつもり)に建立されたが、およそ290年後に火災で焼失(年号不明)し、延享3丙寅年3月14日(1746年)十二世月寒耕雲和尚に再建されて現在に至っている。この火災については、いろいろな伝説が残っているが、次の青木喜作氏の洞松寺外伝、また遠藤信利氏の問答山などを参照されたい。

境内に文殊堂・不動堂などが祀られ、文殊堂のお祭りは昭和35年頃までは賑やかに行われていた。その後しばらく途絶えていたが、最近草岡新町の有志たちの手で復活され、また行われるようになった。また、昔日の面影はなくなったというが、新町がしらの赤地蔵堂も洞松寺十六世文明恵紋和尚の建立といわれる。

なお、同寺はほぼ村の中央部にあるということもあって、明治6年の草岡学校開設(当時の草岡村と川原沢両村の共同経営)、明治16年の草岡村外三ヶ村戸長役場(西根村誕生前の、寺泉・川原沢・草岡・勧進代四ヶ村の連合役場)引き続いて明治22年には新しくできた西根村の村役場仮庁舎などに使用された。