ニヤーヤ学派小史
- インドの論理学の源流
インドの論理学には2つの源流があります。一つは(相手を言い負かすことをめざした)討論術、もう一つは(主に解脱をめざした)知識論。インド論理学史はこれらが混合してゆく歴史でもあります。古くは紀元前にバラモン教徒が仏教などの新興勢力と論争を繰り広げる中でそのルールや定説をまとめたものに始まり、次第に理論が整備されるにしたがって複雑な体系が作られていきます。
- ニヤーヤ学派
その中で私が特に中心的に勉強しているのはバラモン教六派哲学に属するニヤーヤ学派です。このニヤーヤとは「正しい論理」という意味ですが、その名前通り論理学派なわけで、インドの論理学を論ずるならば最重要であるといえます。
- ニヤーヤ学派の歴史
ニヤーヤ学派は紀元後約1世紀に現れたガウタマ(釈迦ではない)にその端を発します。『ニヤーヤ・スートラ』というこの学派の根本聖典が編まれ、3〜4世紀には現在の形になったといわれています。以降の歴史はこのスートラへの注釈及び注釈への注釈という形で進行しました。現存する主な注釈は以下の通りです。
時代 |
注釈書名 |
注釈者 |
4世紀 |
ニヤーヤ・バーシャ |
ヴァーツヤーヤナ |
6世紀 |
ニヤーヤ・ヴァールッティカ |
ウディヨータカラ |
9世紀 |
ニヤーヤ・ヴァールッティカ・タートパリヤ・ティーカー |
ヴァーチャスパティ・ミシュラ |
11世紀 |
ニヤーヤ・ヴァールッティカ・タートパリヤ・パリシュッディ |
ウダヤナ(・アーチャーリヤ) |
これらの注釈者たちは,仏教徒による批判への回答を著作の大きな動機としました.ガウタマからヴァーツヤーヤナの間にナーガールジュナ(竜樹),ヴァーツヤーヤナからウディヨータカラの間にディグナーガ(陳那),ウディヨターカラからヴァーチャスパティミシュラの間にダルマキールティ(法称),ヴァーチャスパティミシュラからウダヤナの間にジュニャーナシュリーミトラなどが現れ,ニヤーヤ説を徹底的に批判していました.やがて仏教学派の伝統はインドから消滅しますが,それまで1000年に渡ってニヤーヤ学派と仏教徒はお互いに主要な論敵であり続けたのです.
- カシミール地方のニヤーヤ学派
上記の注釈家たちによる伝統とは別に、スートラの注釈というスタイルにこだわらずに著作した哲学者がカシミール地方にいたとされています。時代的な前後関係が定まっていないところもありますが、独自のトピックを深め、後代に大きな影響を及ぼしたのは確かです。彼らにとっても,仏教徒は主要な論敵でした.
時代 |
著作名 |
注釈者 |
9世紀 |
ニヤーヤ・マンジャリー |
ジャヤンタ・バッタ(バッタ・ジャヤンタ) |
10世紀 |
ニヤーヤ・サーラ、ニヤーヤ・ブーシャナ |
バーサルヴァジュニャ |
- 新ニヤーヤ学派
14世紀に『タットヴァ・チンターマニ』がガンゲーシャによって著されるに及び、二ヤーヤ学派の歴史はそれまでのものと異質なものへと変わっていきます。以降は「ナヴィヤ・ニヤーヤ」学派と呼ばれ、『ニヤーヤ・スートラ』よりも『タットヴァ・チンターマニ』を重視してその注釈が編まれていきました。この伝統は、現在までしっかり続いています。
例えばこんな内容です→NyAyasUtra 5-adhyAya
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Takuya Ono( hourei@dp.u-netsurf.ne.jp )